90年代でしょうか。私は小中学生だったのですが、「参議院は衆議院のカーボンコピーにすぎない。それなら廃止すべき」というような意見を聞いたことがあります。衆議院と同じ審議を繰り返し、同じ意見を出すだけでは意味がないということだったのでしょう。衆参で多数派が異なる、ねじれ国会が常態化している今となっては隔世の感があります。
法案は、原則として衆参両院で可決されなければ成立しません。そのため、参議院による法案審議の行方は、法案の運命を大きく左右します。法案を成立させたい政府としては、法案成立に関する不確定要素を減らしたいと思います。つまり、参議院をコントロールしようとするのです。参議院はカーボンコピーであったのではなく、法案の確実な成立のために、カーボンコピーにさせられてきたと言えるでしょう。
参議院のコントロールも、与党内審査による与党のコントロールも、確実な成果を得るための手段という点で一致しています。結果に強く影響を及ぼすものをコントロールしようとするのは当然のことです。しかし、目的に対して合理的に行動した結果、国会審議が形骸化するというのは、なんというか皮肉な感じがします。
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