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与党が「18増23減」審議入りに難色を示す理由


■脇参議院国会対策委員長のコメント

 2013年5月26日現在。前回『「0増5減」と「18増23減」』で、「与党がみんな案(18増23減)の審議入りに賛成しない理由がわからない」ということを書きました。その後、ニュースを検索すると自民党の脇参議院国会対策委員長の見方を紹介しているNHKの記事を見つけました。

自民党の脇参議院国会対策委員長は、記者会見で、「衆議院の小選挙区の区割りを見直す法案の審議に、何かほかの法案を持ち出す必要はないし、衆議院の制度に関することを参議院で先に議論することは常識的ではない」と述べ、みんなの党が提出した対案を参議院の特別委員会で審議することに否定的な考えを示しました。
(NHK NEWSWEB「区割り見直し法案 対案と共に審議が条件」5月21日 15時31分)

 私は、「衆議院の制度に関することを参議院で先に議論することは常識的ではない」という部分に注目しました。

■衆議院と参議院は「対等」

 衆議院と参議院は、衆議院の優越こそありますが、どちらか一方の院に従属するものではありません。衆議院は衆議院、参議院は参議院として独立しています。そのため、衆議院と参議院で議事進行のルールが違うものまであります。

 選挙とは、国会を構成する国会議員を選出するものですから、選挙制度の変更は両議院に重大な影響を及ぼします。ですから、参議院が衆議院という別の院の選挙制度を先に提案するのは、衆議院の権威にかかわると言えなくはありません。

■「0増5減」の区割り法案と「18増23減」法案の違い

 と、ここまで書いて違和感を覚えました。いま、参議院で放っておかれている「0増5減」の区割り法案は、内閣提出法案だからです。立法機関である国会に重大な影響をあたえるものを、行政機関である内閣が作成するのはちょっと筋違いな気がします。

 よく調べてみると、「0増5減」の区割り法案は、昨年成立した小選挙区を「0増5減」する法律に基づいて区割りを見直す法案でした。昨年成立した法律は、衆議院議員が提出しています。もちろん、衆議院で先に審議しています。

 各県の定数を定めるところまでは当事者である国会議員が中心となってやり(昨年の「0増5減」法)、実際に区割りを決めるのは専門的な知識を持っている衆議院議員選挙区画定審議会が行う(今審議している「0増5減」の区割り法案)という役割分担になっているようです。

 では、みんなの党の「18増23減」法案は何なのでしょうか。この「18増23減」法案は、昨年成立した「0増5減」法に対応するものです。ですから、具体的にどこからどこまでが新しい選挙区になるかというのは、別に法律で定める必要があります。

■「18増23減」法案の意味

 つまり、みんな案は昨年の11月時点まで時間を戻すことを主張しているのです。この法案が成立すると、昨年の「0増5減」法は廃止されます。同時に、「0増5減」法に基づいて出された衆議院議員選挙区画定審議会の区割り改定案勧告もなかったことになります。したがって、今審議している「0増5減」の区割り法案も意味がないものになります。

 今朝の日経朝刊では、与党は「18増23減」法案について、国会審議の前提となる委員会への付託自体みとめない方針だそうです。確かに、自分たちの進めてきたものを真っ向から否定する法案の審議を認めるのは、嫌なものかもしれません。そこが、与党が「18増23減」審議入りに難色を示す理由のひとつなのでしょう。


「0増5減」と「18増23減」


2013年5月25日追記:この記事では、みんなの党が提出した小選挙区を「18増23減」する法案を、具体的な区割り見直し法案と勘違いして書いています。「0増5減」の区割り法案と「18増23減」法案は同じレベルの法案ではありません。詳しくは『与党が「18増23減」審議入りに難色を示す理由』を御覧ください。

■区割り法案審議、進まず

 2013年5月22日現在。衆議院の小選挙区における1票の格差を是正するための区割り法案は、先月衆議院で可決して参議院に送られています。そろそろひと月たつのですが、参議院での審議はまだ始まっていません。

■18増23減の区割り法案

 今朝の日経朝刊によると、与野党はみんなの党が提出した「18増23減」の区割り法案の取り扱いでもめているようです。野党としてはみんな案を審議入りさせれば、24日に同時に政府案の「0増5減」も審議するという構えです。しかし、与党はみんな案の審議入りに難色を示しています。

 難色を示しているということは、みんな案の審議入りに与党が同意しないがために、政府案の審議入りが遅れる可能性があるということになるのでしょうか。

■与党にとって何が問題なのか

 なぜ、与党はみんな案の審議入りに賛成しないのでしょう。みんな案が参議院本会議までいって可決すれば、参議院の区割り法案は「18増23減」、衆議院の区割り法案は「0増5減」となって両院の議決が異なることになります。その時点で衆議院で「0増5減」法案の再可決が可能になるので、ただ時間がすぎるのを待つより良いと思うのですが。

 とはいえ、与党がみんな案の審議入りに賛成しない、少なくともすぐに賛成しないからにはそれなりの理由があるはずです。それがわからないのが、もどかしいです。


天の声にも変な声がたまにはある


■小説吉田学校第六部:田中軍団

 昨年から断続的に読み続けている戸川猪佐武『小説吉田学校』ですが、やっと大平正芳内閣誕生まできました。

■天の声にも変な声がたまにはある

 大平内閣誕生時に生まれた名言に、「天の声にも変な声がたまにはある」というものがあります。これは、昨年国政から引退した福田康夫元首相のお父さん、福田赳夫元首相の言葉です。

 大平内閣の前の内閣は、福田赳夫内閣でした。1978年、自民党総裁の任期満了を前に、福田首相(当時)は続投を望んでいました。この年は自民党員による総裁選の予備選があり、1位になる自信のあった福田首相は「予備選挙で2位になった総裁候補は、国会議員による本選を辞退すべき」と主張していました。

 しかし、予備選挙で福田首相は大平幹事長(当時)に大きく離され2位になってしまいます。森喜朗官房副長官(当時)などが本選に出馬するよう福田首相に要請しますが、福田首相は本選辞退を決めました

 このとき、「天の声にも変な声がたまにはある」という言葉が生まれました。天の声というのは、予備選の結果です。この結果は、大平幹事長を支える大平派だけの成果ではなく、ロッキード事件で自民党を離党していた田中角栄元首相率いる田中派の協力があったためとされています。

 現役首相が与党の党首選の、それも予備選に敗れて本選を辞退し、内閣総辞職するという結末に、福田首相を応援していた面々は納得がいきませんでした。彼らには、福田派として総裁選の選挙運動ができなかったという思いもあったからです。というのも、福田首相は派閥政治の打破を訴え、自ら福田派を解消していたのです。

■政局が面白い

 「天の声にも〜」という言葉は知ってはいましたが、詳しい経緯は知らなかったので大変面白かったです。この六部は福田内閣を描く前半部が退屈で何度も中断していたのですが、総裁選あたりになってきてグンと面白くなって一気に読んでしまいました。

 どうしても、政策が順調に行われる場面より、政局のほうが面白くなってしまいます。小説とはいえ、だいたい歴史には沿っているので結末はわかっているのですが、それでも面白いのです。


予算が否決されてから成立するまで


 2013年5月16日現在。昨日15日、2013年度予算が成立しました。2月に成立した2012年度補正予算は衆参両院で可決しているのですが、2013年度予算は参議院で否決されました。どのような手続きを踏んで予算が成立したのでしょうか。少し流れを追ってみます。

■参議院本会議で否決

 まず、参議院予算委員会で予算案が採決され、野党の反対多数で否決されます。次に、参議院本会議で予算委員長が報告したのち、採決され、野党の反対多数で否決されます。

■両院協議会開会

 参議院本会議で予算案が否決されたことで、すでに予算案を可決している衆議院の議決と不一致になってしまいました。衆議院は両院協議会を開くことを参議院に請求します。ここで、衆参の意見を調整するため、両院協議会が開かれます。協議委員は、衆参から10名ずつ選出されます。

■衆議院の議決が国会に議決となり、成立

 15日午後9時半ごろから両院協議会を開いたものの、衆参の意見は一致しませんでした。事ここに至って、憲法60条2項により、衆議院の議決が国会としての決定になり、2013年度予算が成立することになりました。衆議院の議事経過によると、議長が衆議院の議決が国会の議決となったことを告げ、本会議が散会になったのは、午後10時44分のことでした。

憲法60条2項
 予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。


政治と人間


 政策と政局は別ではないか、と主張する人は多い。しかし、政策を最終的に決定するのが政治家である以上、政策決定に時の政治情勢や政治家の思惑が絡むのはやむを得ないことである。
田崎史郎『梶山静六―死に顔に笑みをたたえて』(講談社)P.514

■政治と利害調整

 政治というと、不信なものの代名詞のように思えます。国会審議における政治というのは、利害調整です。それも一番上澄みのきれいな部分です。上澄みの部分ですら不信感を持たれるのはなぜでしょうか。

 それは、利害調整の結果、妥協の産物となった成案を前にしたどの立場の人間も「これはおかしい」「普通に(まともに)考えたらこうはならない」という感想をもち、「だから政治はダメだ」となるからです。

■政策いろいろ

 すべての人が納得する政策があるかもしれませんが、ない可能性も十分あります。ない場合は、ひとりひとりの立場によって良い政策は違います。政策の違いは、立場の違いです。立場が違うため、現実の見え方が違うのです。現実の見え方が違うため、考慮される事実・捨てられる事実が違い、必要と思われる政策手段が違い、成功とされる政策効果も違う。

 そして、違う政策を持った人間が集まって討議していく中で、捨てた事実をもう一度拾ったり、考慮した事実を捨てたりして成案ができていきます。

 期限(会期)を見据えて、期限までの絶え間ない事実の入れ替えが討議です。そして、討議の前提を整える技術として政治がある。ここでいう政治は、討議をある特定の立場からスムーズにすすめていくための諸技術のことです。根回し、脅し、泣き落とし、ありとあらゆる手を使い、自分の立場を重視した討議を実現しようとします。このとき、技術を使う対象になるのは政治家自身です。つまり、人間です。

■人間が相手

 話題は天下国家でも、相手は人間であるゆえに、第三者からみれば不可解な動きがあります。それもまた、政治に対するわかりにくさ、不信感を生んでいる原因となっているのかもしれません。

 ただ、私はそれも含めて面白いと思います。

 というようなことを、この本を読んで考えました。


与党の審議拒否の狙い


■与党の審議拒否

 2013年5月9日現在。与党が昨日8日の予算委員会を審議拒否したのは、環境委員会委員長である川口順子議員に対する委員長解任決議案を、予算委員会の前に本会議で決議するよう求めたためです。この要求に野党は応じず、異例の与党による予算委員会審議拒否となりました。

 参議院で与党は過半数をもっておらず、解任決議案は可決される見込みでした。実際、解任決議案は可決されています。なぜ、与党は自党の委員長が直ちに解任されるようなこと要求したのでしょうか。それも、審議拒否してまでです。

■テレビ中継と審議拒否

 今朝の日経朝刊に、8日の参議院予算委員会を与党が審議拒否したことについての解説がありました。

 まず、与党としては解任決議案を成否にかかわらず早期に処理することで、川口委員長の問題を終わらせる狙いがあった、と日経は書いています。たしかに、会期の延長に制限がある今国会で、与党としてはこのような問題に長い時間を割くわけにはいきません。

 しかし、それと与党の審議拒否になんの関係があるのでしょうか。実は、審議拒否することで、野党が川口委員長の問題をテレビでアピールすることを防ぐ効果があるのです。日経によると、NHKの国会中継には次のような慣例があるそうです。

中継は「国会が不正常な状況なら実施しない」という慣例がある。

 「不正常な状況」とは、まさに審議拒否が行われている状況です。つまり、与党が審議拒否することで、テレビ中継を中止させられるわけです。

 そして、与党は解任決議案が本会議で採決されるまで、審議拒否を続ける構えを見せます。このままでは、夏の参議院選挙を前に、テレビでアピールする機会がどんどん減ってしまいます。結局野党が本日9日に参議院本会議で解任決議案を採決することに応じて、国会は正常化へ向かいました。同時に、5月15日にテレビ中継付きの参議院予算委員会の集中審議を行うことも約束されました。

 誰が絵を描いたのでしょうか、よく思いついたものです。


欠席と審議拒否


■与党議員の国会欠席

 2013年5月8日現在。昨日7日、参議院環境委員会委員長である、自民党の川口順子議員に対し委員長解任決議案が提出されています。この解任決議案は、川口委員長が参議院議院運営委員会から許可を得ていた日数を超えて中国に滞在したことで、国会に出席できず環境委員会が流会になってしまった責任を問うものです。

 また、同じく昨日7日、参議院法務委員会で一部の与党委員の出席がないことが問題となり、予定された審議日程を消化できなくなる事態が起きました。

 どちらも与党議員が国会に出席できなかったために起きた事態です。民主党を始めとする野党は、これらを「与党の国会軽視の現れである」として厳しく批判しています。

 ただ、国会に出席しないことが「国会軽視」だとすると、野党の審議拒否もまた、「国会軽視」につながりかねません。審議拒否の正当性が弱くなってしまうので、野党は議員の出席についてあまり過剰反応しないほうが良いのではないかと思います。

■審議拒否は単なる欠席とは違う

 とはいえ、与党議員の欠席と野党の審議拒否は意味が違います。与党議員の欠席は、よくて手続きの行き違いか、単なるミスですが、野党の審議拒否は、政府・与党の国会運営から正当性を奪うための審議拒否だからです。

 国会で審議して決定したことは、みんなを縛ることになります。そのため、国会で審議することは、決定したことが正しいことを担保することにつながります。この担保を取っ払う手段が、審議拒否です。審議拒否しているということは、正常に審議が行われていないということです。それだけで、国会の決定に傷をつけることができるのです。

 審議拒否には、審議日程を遅らせる効果に加えて、政府・与党の政策にケチをつける効果もあります。だから、野党による審議拒否はこれからもなくならないでしょう。

 ところで、本日は珍しく与党が参議院予算委員会を審議拒否するという事態になりました。これにどういう意義があるのかは、まだ良くわかりません。


議員定数削減と脱政治化


■議員定数削減

 先月衆議院を通過した衆議院選挙の区割り法案は、与野党が真っ向から対立しました。「0増5減」を先行し、衆議院選挙の正常化を目指す与党と、恒久的な衆議院選挙の正常化のため、抜本的な選挙制度改革を目指す野党の対立です。

 とは言え、野党でも賛否がわかれている点があります。それが議員定数削減問題です。民主党やみんなの党などが大幅な定数削減を目標に掲げている一方、共産党などは定数削減に否定的です。

■定数削減は脱政治化

 政治で扱う問題がどんどん少なくなれば、当然、国会議員も少なくていいことになります。そうでなければ、定数削減によって国会審議はうまく回らなくなってしまいます。人数を減らして、今までと同じかそれ以上の仕事をするのは大変なことです。

 つまり、定数削減と、政治の役割を減らす「脱政治化」はセットで行われることになるはずです。その点で、「小さい政府」を目指す政党が大幅な定数削減を目指すのは矛盾がありません。

 例えば、みんなの党は政権公約でも「小さい政府」の実現を謳っていて、かつ、定数削減による「立法機能の低下はない」という立場です。脱政治化という観点から見れば理屈は通っています。

 逆に、安倍首相が率いる自民党は経済や金融、教育などについて公的な場で討論し対策を決定すべきという立場にあるように見えます。問題を「政治化」していく立場です。

 もし、みんなの党に比べて自民党が大幅な定数削減に消極的なのだとしたら、それは「脱政治化」と「政治化」という問題解決の基本的な立場の違いからくるものなのかもしれません。