2012」カテゴリーアーカイブ

リーダーの2つのタイプ


 政治のリーダーには2つのタイプがあるように思います。ひとつは、自身の信念が支持されて選ばれたリーダー。もうひとつは、周囲の代表的な意見を実現すべく選ばれたリーダーです。

 前者と後者では、支持集団からの制約の度合が異なります。信念が支持されたリーダーは、とにかく自分の信念を貫けばいいので、支持集団の制約はあまりありません。制約はないわけではありません。今までの信念と違ったことをしてはならないからです。しかし、信念がぶれていない間は、リーダー自身が制約を意識しなくてもいいので、制約はなきに等しいものになります。

 対して、周囲の意見を実現するために選ばれたリーダーは、常に支持集団の意向に左右されます。まず支持集団ありきなので、自分で決められることはほとんどないかもしれません。しかも、支持集団内で意見が変わった場合は、リーダーも変わった意見に引きずられることになります。そうしなければ、即リーダーの座を追われるからです。

 この2つのタイプは、リーダーというものの役割として共存しているものです。完全にどちらかのタイプであると言えることはないかもしれません。ひとつのものを別々の見方でみているだけだからです。

 しかし、リーダーと、支持者の意識としては明確にわかれています。リーダー当人は、「自分の信念が支持されているから自分が動けば周りがついてくる」と思っていて、支持する人たちは「自分たちの意見を代表する人間にすぎないから、好き勝手は許さない」と思っている場合が多いかもしれません。

 この2つの見方は、リーダーの立場や支持者の立場で考えるときの出発点になるものです。

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「早期解散」というおまじない


 2012年9月26日に、野党自民党の新しい党首を選ぶ総裁選が行われました。総裁選を制し、新総裁となったのは安倍元首相です。

 安倍さんは、全国の自民党員と現職の自民党国会議員による最初の投票では2位でした。1位は大量の党員票を獲得した石破元政務調査会長。しかし、石破さんの得票が全体の過半数に達しなかったため、自民党国会議員のみで行われる決選投票で安倍さんが逆転しました。

 次の選挙のことを考えると、300票の党員票のうち、165票を獲得した石破さんを総裁にした方がいいような気がします。党員のほうが、国会議員よりも一般の有権者に近いからです。なぜ、党員票を無視するかのようなかたちで、安倍さんが選ばれたのでしょう。派閥の意向がどうのとか、政策がどうのとか、政治面には書かれているようです。

 すべての国会議員にとって、有権者は大事です。国会議員というものは、選挙で選ばれなければタダの人だと言われています。選挙は国会議員がもっとも重要視しているもののひとつです。ましてや、選挙で一票を投じる有権者のことが気にならないわけがありません。

 しかし、それも時期によります。選挙が遠ければ、そこまで有権者に気をつかわないかもしれません。何か有権者の機嫌を損ねるようなことをしても、次の選挙までに忘れてくれるかもしれないからです。もしかしたら、気づきやしないと思っている議員もいるかもしれません。

 逆に、選挙が近ければ、全身全霊で有権者にアピールするでしょう。例えば、参議院選挙を3ヶ月後に控えた、2001年4月の自民党総裁選。当時の森首相は大変不人気であったため、危機感を持った自民党の国会議員は、党員票の前身である県連票で他候補圧倒した小泉純一郎衆議院議員を総裁に選んでいます。

 2001年の例をみてから今回の総裁選の対応をみると、自民党議員は選挙の時期はまだ先だと思っていると言えないでしょうか。少なくとも、3ヶ月よりも先。年内ではない。

 ところで、安倍新総裁は、さっそく早期の衆議院解散を求めると表明しています。早期とは年内のことだ、とも。解散すると全衆議院議員が失職し、それにともない衆議院議員を選出する総選挙を行うことになります。解散と選挙はセットなのです。早期解散とは、早期総選挙ということなのです。

 自民党の議員は、本当に早期解散、「近いうち解散」ということが起こると思っているのでしょうか。もしかしたら、「早期解散」というのは「おまじない」になっているのかもしれません。

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解散しないということはどういうことか


 民主党代表に再選された野田首相は、輿石参議院議員を民主党幹事長に再任しました。この決定に、衆議院の早期解散を求めている野党は反発しています。なぜなら、輿石幹事長は早期解散に賛成でないとみられているためです。つまり、早期解散に否定的な輿石さんをわざわざ幹事長に留任させた野田首相もまた、早期解散に消極的なのではないか、と見られているということです。

 野田首相の代表再選を支持した民主党議員のなかには、早期解散に反対の人々ももちろんいるでしょうから、支持者の意向を考えると、解散は「しない」というより「できない」、事実上封印されたと考えていいでしょう。

 解散とは、首相の決断ひとつで全衆議院議員をクビにできるということです。衆議院議員に与える影響は大きいです。解散できないということは、政府が衆議院議員を縛る権限をひとつ失うことになります。与党議員が反対したら、それを止めるためにとることができる選択が少なくなるのです。よりいっそう、与党議員の意向を尊重した政権運営が必要になったと言えます。

 この状態で、野田首相は自分の信じる政策をすすめることができるのでしょうか。

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参議院はカーボンコピー?


90年代でしょうか。私は小中学生だったのですが、「参議院は衆議院のカーボンコピーにすぎない。それなら廃止すべき」というような意見を聞いたことがあります。衆議院と同じ審議を繰り返し、同じ意見を出すだけでは意味がないということだったのでしょう。衆参で多数派が異なる、ねじれ国会が常態化している今となっては隔世の感があります。

法案は、原則として衆参両院で可決されなければ成立しません。そのため、参議院による法案審議の行方は、法案の運命を大きく左右します。法案を成立させたい政府としては、法案成立に関する不確定要素を減らしたいと思います。つまり、参議院をコントロールしようとするのです。参議院はカーボンコピーであったのではなく、法案の確実な成立のために、カーボンコピーにさせられてきたと言えるでしょう。

参議院のコントロールも、与党内審査による与党のコントロールも、確実な成果を得るための手段という点で一致しています。結果に強く影響を及ぼすものをコントロールしようとするのは当然のことです。しかし、目的に対して合理的に行動した結果、国会審議が形骸化するというのは、なんというか皮肉な感じがします。

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政治主導とは4:効率化と「決める政治」


■効率化

 限られた時間を有効に使うため、無駄を省いて目的を確実に達成するということは、私たちにとって悪いことではありません。すすんで取り組むべきことですらあるかもしれません。

 私たちが日々スケジュールと目標達成に気を使っているように、政府もスケジュールに気を使っています。

■政府のスケジュール

 政府は年間100本程度の法案を提出しており、その大部分を通常国会の150〜250日で処理しなければなりません。通常国会の会期は150〜250日ですが、予算案は法案より先に審議しなければならない、という慣例により最初の60日程度は予算審議のために費やされます。また、日曜祝日はもちろん、土曜日もほぼ休みなので、さらに32日〜60日引かれます。ですから、法案全体の実質的な審議可能日数は58〜140日となります。

 ひとつの法案につき、委員会を通過するのに必要な日数は、最低でも2日です。それに本会議採決を加えて3日。さらに、日本は二院制をとっているため、2倍して6日。委員会を省略しない場合、一つの法案を処理するのに最短でも6日はかかります。仮に通常国会で提出する法案が100本あったとすると、すべての法案を成立させるには、のべ600日かかることになります。

 本会議での採決は、一日で複数の法案を扱います。また、委員会の数は30ほどあるので、すべての委員会にまんべんなく法案が付託された場合、ひとつの委員会で処理する法案は4本程度になります。したがって、すべての法案が最短で審議・採決された場合、4本×6日=24日、24日ですべての法案が処理できます。あれ、意外と楽勝な数字になりました。

 ここで出した数字には、2つの前提があります。ひとつは「野党が(賛成という意味ではなく)審議に協力的であること」。そして、もうひとつは、「与党が政府提出法案に賛成すること」という前提です。与党内で事前に合意を得ずに国会で法案を審議したら、時間も足りないでしょうが、法案成立の目処が立つかどうかすら怪しいです。

■与党が反対した場合

 2005年の郵政解散のもとになった郵政民営化法案は、与党内審査をしたことはしました。この法案には根強い反対があり、与党内審査の最終ステージである自民党総務会は苦しい決定をします。法案の国会提出だけを了承する、というものです。これで法案はなんとか国会に提出されました。

 しかし、法案の国会提出後も、自民党では修正案の審査が行われます。それほど反対派は強硬だったのです。結局、修正案はなかなか合意を得られず、自民党総務会は多数決で修正案を了承するところまで追い込まれました。自民党の与党内審査では全会一致で物事を決めるのが慣例になっているので、これは大変なことでした。与党内での強行採決が行われたようなものです。

 郵政民営化法案の修正案は5票差で衆議院を通過しましたが、参議院では17票差で否決されてしまいました。ここから、当時の小泉首相は衆議院を解散して大勝利。296議席を獲得します。そして、民営化の時期を半年延長した郵政民営化法案を国会に再提出し、衆参両院で可決され、やっと成立しました。

 与党できちんと了承されていない法案を成立させるのが、いかに大変かということがわかります。

■「決める政治」のための効率化、結果としての形骸化

 この例は極端ですが、こういう波乱を減らすために、官僚は根回しをし、与党で事前に法案を検討してしまうのです。スケジュールを確実にこなすための、効率化と言えます。これは悪いこととは言い切れません。政府として責任ある行政をするには、根拠となる法律が確実に成立することが不可欠だからです。

 責任ある行政、つまり「決める政治」を行うため、法案の成立を確実にしようとすればするほど、与党内審査で与党の意思をがっちり固めようとします。与党が賛成でまとまっていればいるほど、数において劣る野党にはなすすべがなくなり、国会は諸々の審議過程を消化するだけの場所となります。

 効率化と「決める政治」、どちらも大切です。ただ、それらの言葉と政治主導という言葉は、国会の形骸化という点で、時に相反することがあるようです。

参考文献:大山礼子『日本の国会』(岩波新書)


政治主導とは3:与党内審査


 自民党政権のとき、国会議員は国会提出前に法案を審議していました。自由民主党審査、あるいは単に与党審査と呼ばれていたのがそれです。

■政務調査会部会→政務調査会審議会→総務会

 官僚が作成した法案は、作成した省庁の決定を経て、自民党の政務調査会部会という機関でまず話し合われます。部会は内閣部会、経済産業部会というように分野ごとに存在し、関係する法案について審議しました。

 この審議には官僚も力を入れていて、その法案を主管する課の課長をはじめとして、幹部職員がガンガン説明、根回ししていきます。あまりに根回ししすぎて、90年代までには部会に上がってくる時点で自民党の意に添わない部分がなくなるくらいに自民党の意向を読み切っていたと言われています。

 法案が部会を無事に通過すると、政務調査会審議会に議論の場を移します。特に、部会で賛否両論になり、「部会長一任」という形で通過した法案はここで実質的な審議が行われます。

 審議会を通過すると、法案は与党審査最後の関門である総務会にかけられます。法案が総務会決定すると、法案は閣議決定され、国会に提出されるという流れになりました。

 自民党政権下においては、このように国会以前の段階で法案審議が行われていました。ちょっと気になるのは、90年代後半の自民党はほとんど他党と連立を組んで政権を維持していたことです。例えば、公明党はどのように事前審査をしていたのかに興味があります。また、政権についた当初、政「策」調査会を廃止してしまった民主党ではどのように与党内審査を行っているのかにも関心があります。

■官僚主導?それとも政治主導?

 官僚が政策決定過程を牛耳っていることが官僚主導の政治なのだとすると、国会や与党内審査の場面で国会議員の説明にエネルギーを割いている自民党政権時代の官僚の姿は、官僚主導にあてはまらないような気がします。

 とすると、その官僚主導の対になる言葉である政治主導とはいったいなんなのでしょうか。政治主導というからには、国会議員が政策決定過程をリードすることになるはずです。そして、国会議員がリードする機会は、国会としてすでに存在しています。どうして、国会が活用されないのでしょうか。その理由は、「効率化」と「決める政治」にあります。

続きます。


政治主導とは2:官僚主導からみた、国会の力


 選挙ではなく、試験で選抜された公務員が政策決定過程のすべてを支配している状態が官僚主導の政治だということを、前回書きました。

 この官僚主導の政治において、一番弱いところはなんでしょうか。少しでも気を抜くと思い通りにいかないところはどこでしょうか。

 それは国会です。国会で意思決定できるのは、有権者が選挙で選んだ国会議員だけです。国会議員が賛成しなければ、予算案や法案は永久に「案」のままです。

 国会の力は予算の決定や法律の決定だけにはとどまりません。国会で行われた審議は議事録が残されます。この議事録に書かれていることをもとに、「この議事録の内容と、現在の行政の方針が食い違っている。どういうことだ!」と言われると、行政は筋の通った弁明をせざるを得ません。これは官僚にとって大変面倒なことです。だからこそ、言質をとられるようなことが議事録に残らないよう、国会答弁の作成に必死になるのです。

 国会は政策決定過程において、最終的な決定権を持っています。しかし、決定権をもっていても、国会に上がってくる政策がどれもイマイチだったらあまり意味がありません。会期制により審議の時間が限られていて、修正することにも限界があるからです。

 国会議員は果たして政策作成に関与しているのでしょうか。

 続きます。

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政治主導とは:官僚主導の政治


 政治主導という言葉があります。

 この言葉は、自民党が政権与党だったときの政治は官僚が主導権を握る官僚主導であったけれども、民主党の政治は政治家が主導権を握って政治主導でやっていくのだ、というように使われました。

 ここで批判される官僚主導の政治とはどのようなものでしょうか。官僚がすべての政策を立案し、調整し、決定し、実行するようなものなら官僚主導の政治と言えるでしょう。なぜなら、このような政策決定過程は官僚の世界だけで完結しているからです。

 ただ、決定過程に国会が入っています。国会は官僚の領域ではなく、国会議員の領域です。しかし、国会質疑の答弁を作成するのは関係省庁の担当課で、担当課の官僚は答弁作成のため質問した議員に直接面会し、場合によっては質問自体を誘導することも可能です。

 そうなると、質問者も答弁者も官僚の手が入っており、国会ですら官僚の手の内にあると言えます。国会が儀式だとしたら、式次第を書いているのは官僚なのだ、というのが官僚主導の政治を批判する人の認識です。

 なぜ官僚主導が問題なのかというと、官僚は国会議員と違い、選挙で選ばれた人間ではないことです。これは、官僚が何か問題を起こしても選挙による審判を受けないため、有権者を無視し、好き勝手なことをするかもしれないという理屈です。

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内閣法制局について


 内閣法制局は2つの仕事を担当しています。ひとつは各省庁で立案し、内閣で提出する法案などの審査。もうひとつが、法律の解釈について総理大臣などに意見を述べることです。

 法案の審査を審査事務と呼びます。憲法や既存の法律との関係、立法の目的の妥当性と法律がその目的達成に役立つかどうかなどから、全体的な用語、言い回しの統一などまでありとあらゆる観点で検討します。

 意見を述べることを意見事務と呼びます。各省庁で法令について疑義があったり解釈に争いがあったとき、法制局に意見を求めることになるそうです。内閣法制局長官が国会審議で憲法解釈を答弁するシーンがありますが、あれも意見事務のひとつです。この法制局長官の国会答弁は、「憲法の解釈を官僚が握っているのは政治主導じゃないんじゃなかろうか」ということで、民主党政権発足後廃止されていました。ただ、今年の通常国会から復活することにしたようです。

 内閣法制局は第一部、第二部、第三部、第四部と長官総務室で構成されています。第一部が意見事務を担当し、第二部から第四部までが分担して審査事務を担当しています。トップは法制局長官。ナンバー2は法制次長です。


法案の作成過程と与党


 内閣提出法案を作成するのは、各省庁です。各省庁の担当課が作成にあたることから始まります。

 担当課では法律に関係する団体、議員、他省庁と協議しながら法案を作成していきます。最終的に内閣法制局が認め、閣議によって全会一致で決定されれば、法案を国会に提出することができます。

 自民党政権のときは、この間に自民党内部の政務調査会、総務会の審議や決定を経ることで与党による公的な干渉の余地をもっていました。民主党政権においてどうなってるのかは、よくわかりません。民主党にも政”策”調査会という組織があるのですが、民主党政権成立後しばらくは廃止されていました。

 国会が審議が儀式となってしまい、実質的な審議がなされないとすると、国民の代表である国会議員が法案について議論する場は与党審査しかないように思えます。民主党がどのように法案作成に関わっているのか、少し興味があります。