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儀式としての国会審議


 清野正哉『国会とは何か 立法・政策の決定プロセスと国会運営』(中央経済社)によれば、与党も野党も、法案審議において所定のプロセスを経たかどうかを重視しています。

 たとえば、委員会での法案審査は提案者の趣旨説明から始まるのですが、審査の初日は趣旨説明だけで終わってしまいます。趣旨説明に必ず一日かけるのです。そして、趣旨説明が終わらない限り、質疑にうつることはありません。質疑に入らなければ、総質疑時間を貯めることができず、野党の審議が不十分という批判に反論できなくなります。

 審査において所定の手続きを踏むことと、総質疑時間をある程度確保することが求められており、実質的な議論があるかどうかはあまり関係がないようです。もはや、国会審議そのものが一つの儀式になっているとも言えそうです。

 このままでいいのかどうかはよくわかりません。日本は議院内閣制で、内閣は国会に信任されて初めて成立します。国会の、少なくとも第一院である衆議院の多数派が内閣を支持していることが前提になっているのです。

 議院内閣制であること、国会での審議が多数決で決まること、内閣提出法案は与党であらかじめ審査済みであることを考えれば、法案を国会で審議する余地はあまりなく、国会での審議がどうしても形式的になってしまうのうは止むを得ないように思えるからです。

 もし、よくないのなら、変えていかなければなりません。国会で実質的な議論を行うインセンティブを制度改革などによって作り出す必要があります。

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廃案と継続審議の違い


2013年6月15日追記:この記事では、議決効力の不継続の点しか考慮していません。継続審議と廃案はやはり別物です。継続審議の意義に関する現在の見解は『廃案と継続審議の違い(決定版)』を御覧ください。

国会での法案の審議プロセスと時間について考えてきました。とりわけ、法案が会期末までに成立しない場合廃案になるという会期不継続の原則のもとで、法案が廃案になる場合と継続審議になる場合の違いについて調べてきました。現時点での考えを書いてみます。

■継続審議と廃案に違いはない?

衆議院で可決した法案が参議院で議決に至らず、継続審査の手続をとったとします。このとき、次の国会で可決したとしても、また衆議院で可決しなければ成立しません。ちなみに、この根拠となる法律が国会法83条の5(*1)なのだそうですが、あっさりしすぎていて私には解説がないと理解できません。この点を解説している本を探してます。

同一のケースで参議院で審議未了により廃案になったときは、継続審査した場合でさえ、次の国会で両院の議決が必要になるのですから、衆議院に法案を提出するところからやり直しなると考えたほうがよさそうです。

同一会期中に両院で可決しなければならないので、継続審査しようが廃案になろうが、どちらもかわりないように思えます。あとは、83条の5のケースで衆議院に法案が戻ってきたときに、衆議院でどのように対応するかにかかっています。そのときの対応が、再提出のものと異なれば、継続審査と廃案に若干の違いが出てきます。

■会期不継続の原則自体に強力な制約がある

継続審議と廃案の違いについて調べるために、国会の法案審議の手続について書かれた本を読んできました。読んできて思ったのは、廃案と継続審議の違いよりも、会期で一区切りつけられてしまう会期不継続の原則自体に相当な制約があるということです。

会期不継続の原則の存在と国会の会期が150日程度しかないことにより、限られた会期で成立しなかった法案はふりだしに戻り、成立を目指すにはまた最初からやり直さなければなりません。そのため、その法案が重要であればあるほど、ひとつの法案にかける時間が多くなり、その分他の法案の審議や、新しい法案の準備などの時間がなくなっていきます。

これは、政府・与党にとって相当な制約です。時間も、お金も、人的資源も使います。法案を否決しなくても、これだけのダメージを政府・与党に与えられるのですから、野党が審議拒否をしがちなのもわかります。

*1…国会法第83条の5 甲議院の送付案を、乙議院において継続審議し後の会期で議決したときは、第83条による。


改革と立場と合意と前提


 9月6日に報じられた、経済界・労働界からの国会改革の提言には、「予算と、予算執行に必要な予算関連法案や、特例公債法案をセットで成立させること」、「首相をはじめとする閣僚の国会出席を減らす」などというものがあるようです。それらが実現することには、メリットもあればデメリットもあります。

■立場による、改革のメリットとデメリット

 例えば、予算と予算に関する法案をセットで成立させる提言が実現すれば、今日のように特例公債法案の成立が遅れて財政が危機に陥ることのないように、予算の執行を確実にするメリットがあります。しかし、このメリットは、政府・与党とそれを支持する有権者、行政の主流派、その予算が執行することで生きていける経済界・労働界が享受するものです。

 野党とその支持者や、行政の非主流派、その予算では生きていけない経済界・労働界にとっては、そのような予算が迅速に執行されてしまっては困ります。メリットは受けなくても税金は必ず払うので、なおさらです。そういう人々にとっては、すぐ決まる仕組みよりも、何回も話し合って自分たちの意見が少しでも反映される可能性のある仕組みの方がいいかもしれません。

 これが損得でなく、信念の問題になるとやっかいです。信念として、政府のやることをことごとくチェックすべきだという人にとっても、予算と予算関連の法案をセットで扱うことはあまり良いとは言えないでしょう。

■何を優先するかに関する合意が必要

 予算の迅速・確実な執行も重要ですし、政府のチェックも重要です。しかし、あちらを立てればこちらが立ちません。こういうときは、日本という国は何を優先すべきかという合意形成が重要です。どういう国を目指し、どのような幸福な生活をもたらすために、何を優先すべきなのかを、です。そういう、国民の前提、空気が作られていかないと、結論を出すのは難しいです。

 国会改革とは関係ありませんが、道徳教育が中途半端なものになっているのは、道徳についての国民的な合意がもう失われてしまっているからだと、私は考えています。保守的な人にしろ、リベラルな人にしろ、自分たちの主張をどんどん浸透させることを怠って、行政でガツンとやればいいと思っているようでは、永遠に自らが望む理想の道徳教育はできません。

 特に、「日本人なら当たり前」とか「地球人なら当たり前」みたいな態度ではダメです。当たり前じゃないかもしれないと思って、必死に説得することが必要です。他の国なら宗教のような自明な規範、当たり前のものがあるのかもしれません。しかし、そのような国と、少なくとも、前の戦争に負けて60年以上ほっといた日本とでは状況が違います。自明のものを新たに作ることに苦労するのはしょうがないのです。道徳教育に関する私の立場は、もし今より踏み込んでやるのなら、みんなが合意できるものにしてほしいというものです。

■立場の妥当性と採る選択肢の妥当性をチェックする

 それはさておき、立場と優先順位を明らかにすることは実質的なメリットもあります。「Aという立場に立つので、XとYという選択肢なら、Aを満足するXを優先する」という話し合い方にしないと、どちらも正しいだけに、正論を言い合うだけの意見表明大会になってしまう恐れがあります。それでは、お互いの主張の妥当性をチェックすることができません。

 立場の表明とその利益になる選択肢の優先という考え方が重要です。その選択肢がその立場の利益になるかという観点と、その立場が妥当かという観点の2つにわけてチェックすることが容易になり、意見表明だけであとは喧嘩別れということが少なくなるのです。

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経済界と労働界が国会改革を提言?


 2012年9月6日、経済界と労働界が、ねじれ国会で「決められない政治」を変えるため、国会改革を提言したというニュースがありました。

 人によって差がある、良心や常識に訴えることで政治家の行動を変えようするのではなく、政治のルールを変えることで変えようとするのは大変良いことだと思います。より望ましいと思われる行動をとるのが、議員の利益達成のために一番効率が良くなるのが理想です。

 そのためにも、現状の制度がどのようなもので、どのように運用されているのかを知ることが重要です。単に制度を学ぶだけではダメです。

 なぜなら、組織における人間の行動を左右するものは、文書で存在する制度だけではないからです。思うに、人間の行動を左右するものには4つの種類があります。

  1. 制度上存在し、現実に行動を左右しうるもの
  2. 制度上存在し、現実に行動を左右しえないもの
  3. 制度上存在せず、現実に行動を左右しうるもの
  4. 制度上存在せず、現実に行動を左右しえないもの

 1と4はそのままなので問題ありません。問題は2と3です。2と3は制度を定めた文書をいくら読んでも出て来ません。しかし、これこそが新しい制度を考えるときに重要です。2ならば、なぜ制度が無視されるのか、3ならば、そのような行動を誘発するのは何かを解き明かすことで、より人間をコントロールできる制度を作れるからです。


法案審議のプロセス


 政府提出法案の審議プロセスを発見しました。簡単に書いてみます。

  1. 先に審議する議院の議案課が議案を受け取る
  2. 議案課で所定の手続を行う
  3. 議院運営委員会で、審査する委員会を決める
  4. 議院運営委員会により、本会議で議案提出者に趣旨説明を求めることを決めたとき、本会議で趣旨説明と質疑応答を行う
  5. 委員会審査開始。提出者が趣旨説明をする
  6. 議案に関する質疑を行う
  7. 場合によっては、公聴会を開催する
  8. 採決する。委員会審査終了
  9. 議院運営委員会で議案の本会議上程日を決める
  10. 本会議で採決する
  11. 本会議で可決したときは、後に審議する議院で1〜10を繰り返す
  12. 両院で可決したら、後に審議する議院の議長と事務総長名で、法律の公布を天皇に奏上する

 このプロセスは、村川一郎『政策形成過程』(信山社)、伊藤光利・田中愛治・真渕勝『政治過程論』(有斐閣アルマ)、大山礼子『国会学入門 第2版』(三省堂)から、私がまとめて書きました。

 一点補足します。議案課というのは、国会議員ではなく国会職員が務めています。国会職員は各議員で独自に任用された、国会運営に従事する人たちです。この国会職員のトップが事務総長です。

 国会でこれだけの過程を経ないと、法律はできないわけです。あとは、「閉会中審査」または「継続審査」した議案の審議プロセスがわかれば、前回の記事(時間切れになった議案について)の疑問である、「廃案後再提出になった議案と、継続審議になった議案の違い」がわかるはずです。

 ところで、両院で可決した法律の公布を天皇に「奏上」したのち、天皇が法律を公布します。奏上とは「天皇に申し上げること」であり、議長は天皇にへりくだっているわけです。現在も天皇の権威というのは生きていて、国会よりも上にあるということなのでしょう。日常ではなかなか天皇の権威というものを意識しないので、こういう言葉や慣習を見つけると、少したじろぎを覚えます。こういうところも、政治制度を調べる面白さのひとつです。




時間切れになった議案について


 2012年9月4日現在、今年の通常国会もあと4日で会期―国会の活動期間―が終わり、閉会となります。話題になった赤字国債発行に必要な特例公債法案や、衆議院の選挙制度改革法案をはじめ、採決されていない議案がいくつもあります。審議途中で国会が閉会した場合、議案はどうなるのでしょうか。

 原則として、会期中に議決されなかった場合、議案は廃案となります。廃案になった法案をもう一度審議したい場合は、次回の国会に改めて提出して最初から話しあわなければなりません(国会法68条)。これを「会期不継続の原則」といいます。

 この原則には例外があり、衆議院では「閉会中審査」、参議院では「継続審査」する議決があれば、次の会期に引き継ぐことができます。ただし、次の国会までに衆議院の総選挙がある場合は、すべて廃案になることになっています。

 大山礼子『国会学入門』などには、会期不継続の原則があるために審議時間が限られてしまうと書かれています。審議時間が限られると、野党は審議時間を引き伸ばすことで議案を廃案にすることを目指すようになり、審議拒否など審議に消極的になってしまうのです。

 今まで、なんとなくこの説明で納得していました。しかし、よく考えてみると、法案審議で経なければならないプロセスとその所要時間がわからないことには、廃案になることと、継続審議になることの違いがよくわかりません。この点が、はっきり書いていてある記述が見つけられず、ちょっと困っています。

 また、参議院のサイト(http://www.sangiin.go.jp/japanese/aramashi/keyword/keizoku.html)によれば、参議院で「継続審査」した議案は、次の国会でそのまま審査出来るのに対し、衆議院で「閉会中審査」した議案は、会期の始めに議案を審査する委員会を決め直すと書いてあります。衆議院において、廃案になった場合と閉会中審査した場合の違いがいまいちよくわかりません。

 この点を、引き続き調べていきます。


議院運営委員会について


 議院運営委員会という委員会があります。この委員会は、衆議院と参議院の両方にあり、議事日程から職員の給料まで、各議院のあらゆることがらを決めています。

 さて、議事日程を決めるとは、どういうことでしょうか。本や各院のサイトによれば、以下のようなものを決めています。

  1. 議案を、どの委員会で審議するか
  2. 議案の、委員会での審議を省略するか
  3. 常任委員会以外の特別委員会を設置する時、どの会派に何人割り当てるか
  4. 議案を、いつ本会議に上程(会議にかけることを上程(じょうてい)と言います)するか
  5. 首相の演説などに対する質問を、いつ、どの会派から、各会派何分の持ち時間で行うか

 例えば、この間可決された参議院の首相の問責決議を例に考えてみましょう。今回の問責決議案は、国民の生活が第一などが消費税の増税反対を全面に出したものと、自民党が中心になって出したものと2つありました。

 このうち、生活などが出したものは、消費税増税を含む税と社会保障の一体改革法案の参院採決時に出されたものでした。議院運営委員会は、8月20日に問責決議案を委員会での審議を省略する要求を否決し、そのまま2週間以上放っておきました。こうなると、どうすることもできません。

 その後、8月28日に自民党が中心となって出した問責決議案と、放っておいた問責決議案の2つの取り扱いを審議します。審議の結果、自民党中心の問責決議案は委員会審査の省略要求を否決し、もともとあった問責決議案の委員会審査を省略することを決めたのです。

 こうして、生活などが出した問責決議案は本会議に上程され、本会議で採決のうえ、可決されたというわけです。

 議事日程を決めるというのはこういうことで、本会議で採決されなければ可決されない以上、国会における議院運営委員会の役割は大変重要なものと言えます。

参考文献:大山礼子『国会学入門 第2版』(三省堂)
     浜田幸一『お願いだから、わかって下さい。国会というところ…」(ポプラ社)



規模の限界:共産党の組織図3


 2012年8月31日現在、日本経済新聞の朝刊に、中国共産党の次期幹部がほぼ内定したという記事がありました。中国共産党も、以前とりあげた日本共産党と同じく、マトリョーシカのような指導構造になっています。(https://ryoichiinaba.jp/rlog/2012/08/post-14.html

 日本共産党における、党大会-中央委員会-幹部会-常任幹部会という組織図は、中国共産党における、全国代表大会-中央委員会-中央政治局-中央政治局常務委員会という仕組みによく似ています。やはり、左端の機関が休会中は、右の機関が代行するという形になっています。

 さて、どうしてこのような仕組みになっているのでしょうか。立花隆『日本共産党の研究(二)』(講談社文庫)では、組織には「規模の限界」があるためだとされています。

 どんな組織でも、ある一定の人数(十数人から二十人程度)を超えるとうまく機能しなくなります。これが規模の限界です。この限界にぶち当たった組織は、自らを分割して上部組織を作らざるを得ないのだそうです。

 この見方が正しければ、中央委員会が多くなりすぎたので幹部会を作り、幹部会も多くなってきたので常任幹部会を作ってきたということで、最初から意図して作られた組織図ではないようです。

参考文献:立花隆『日本共産党の研究(二)』(講談社文庫)


選挙無効とは?


 衆議院の選挙制度改革がうまくいかない場合、最高裁は次の衆議院総選挙について「選挙無効」の判決を出すかもしれないと、一部で言われています。しかし、本当に選挙無効の判決を出せるのでしょうか。

 選挙無効の判決には、達成のためのハードルがいくつかあります。以下のようなものです。

  1.  最高裁は選挙を無効にする力がある
  2.  現職だろうが新人だろうが、違憲状態の選挙は無効にする考えである
  3.  最高裁は理想の選挙制度を確実に把握している。すなわち、唯一の立法機関である国会が当然採用すべきである選挙制度を、最高裁はもう知っている

 1はすべての前提です。いくら最高裁判所が選挙無効を宣言したところで、国会議員が一人も辞職せず、選挙管理委員会や総務省が選挙を行わなかったら、なんの意味もありません。そういう事態になったが最後、司法の権威は地に落ちます。

 2はもうちょっと感情的な話です。すでに国会議員であった現職議院の当選が無効になるならば、「在任中に選挙制度改革に真剣に取り組まなかったからだ」といういわゆる自業自得論が成り立つ可能性があります。しかし、今まで議員でなかった新人の当選者にとってはあずかり知らないことです。その新人議員の当選を無効にすることは、選挙民の意思を無視することは、果たして許されるのでしょうか。

 さらに言えば、新人議員はすでに選挙資金を使い尽くしており、選挙無効になったあとの選挙に出馬できない可能性があります。資金力という点では、現職議員の方が有利な場合が多いでしょう。選挙無効にすることによって、かえって「違憲状態」を放置した議員が当選し、よりよい新人議員の誕生を阻害するというマイナス効果がありえます。これは、民主主義として正しいのでしょうか。

 3は立法権の問題です。現行の憲法では、国会が唯一の立法機関となっています(憲法41条)。もし、憲法が法律で定めるとしている選挙区の定数配分(憲法47条)を、最高裁が左右できるとなったら、国会が唯一の立法機関であるとしている憲法と矛盾します。これは、看過できない憲政上の危機です。

 もし、憲政上の危機にならないとしたら、「この世には唯一の理想の選挙制度があり、そういう選挙制度を作るのは国会として当然、いや、常識とさえ言える」という世界観が必要です。その世界観を共有する者どうしだったら、最高裁が選挙制度を消極的にではなく、積極的に云々していくことが許されるでしょう。

 もしくは、最高裁の判決は選挙全体を無効とするものではなく、投票価値を著しく毀損している特定の選挙区の再選挙ができるだけであるとするなら、問題は少なくなります。

 以上で見た通り、行われた選挙全てを無効にすることは難しいです。選挙制度の改正は、事実上、また、制度上、国会にのみ任せされていると考えた方がいいでしょう。つまり、国会議員が本気にならない限り、選挙制度は改革されないということです。


参議院の首相の問責決議案、その価値


 2012年8月29日現在、参議院本会議で首相に対する問責決議案が可決されました。こうなったら、いっそのこと臨時国会でも問責の効果があると言い張ってもらって、参議院の首相の問責決議案の効果に関する既成事実を積み重ねることで、実際のところ参院の問責決議にどの程度の価値があるのかはっきりさせてもらいたいところではあります。

 例えば、参議院で問責決議案が出されたことにより、首相が衆議院を解散するのはアリなのでしょうか。

 もし、政府・与党以外の野党が、参議院ですべての議案に審議拒否する、または反対した場合、衆議院の優越がある首相の指名と予算案以外の全て法律が成立しないことになります。また、今日の国家財政を考えたとき、赤字国債を発行しないわけにはいかないので、特例公債法案が成立しない場合は行政の活動に著しく影響を与えかねません。

 この状況を◯◯的に問題がある、といくら言ったところで、意味はありません。問責決議なんか出さなくても、参議院で与党が過半数を持たない時点でこの結果は見えています。単に否決すればいいのです。そして何より、この問題を調整する方法が憲法に書かれていないのだからしようがないのです。

 参議院の首相の問責決議案について考えてきて、最終的にぶち当たるのがこの問題です。すなわち、参議院で首相の問責決議案が可決されるということは、ほとんどの可能性において、参議院で政府・与党が過半数を得ていないということであり、参議院における法案の成否は、問責決議案の可否に限らず、野党に握られているということです。

 こう考えてみると、首相の問責決議案などと言うのは、飾りにすぎないのです。あってもなくてもどうでもいい、箔付けのようなものではないでしょうか。なぜなら、すでに述べた通り、審議拒否や法案の否決といったパワーの有無は、問責決議案の可否に左右されないからです。

 では、何のために箔を付けるのでしょうか。審議拒否にです。あるいは、問責決議案は野党を糾合する錦の御旗にするのでしょう。「参議院として問責決議を可決したのに審議拒否しないのは、議院の一体性を損なう行為であり、参議院の地位を低下させる」という理屈でもって、審議拒否を渋る野党を説得することができるからです。

 この状況を打開するには、参議院で法案が否決されてもなお、法案を成立させる力が必要となります。その力とは、衆議院で三分の二以上の議席でもって再議決することです(憲法59条2項)。

 現状の衆議院の構成で三分の二以上の賛成を得られない場合、この力を得る方法のひとつして、衆議院の解散総選挙が挙げられます。選挙を行なって、与党で三分の二以上の議席を勝ち取れば、参議院が何をしようが無駄です。これは、憲法に明文で保証されています。◯◯的に問題がある、といくら言ったところで、憲法に書かれているのだからしょうがないのです。もっと言えば、この再議決の規定こそが、参議院で政府・与党が過半数を得ていないケースにおける、憲法が用意した衆参対立の調整手段なのかもしれません。

 参議院の首相の問責決議案可決による、首相の衆議院解散はアリです。これを拡大すると、参議院で法案を否決されて解散した、小泉元首相の郵政解散も当然アリになります。

 とは言え、解散が首相の専権事項ならば、どのタイミングで解散しようがしまいが首相の自由であるはずなので、こんなことを考えなくてもオールオーケー。すべてアリということになります。