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予算審議と民主党


■いよいよ予算審議

 2013年3月4日現在。今日から国会は、首相の施政方針演説に対する代表質問が行われます。そして、いよいよ今週末にも2013年度予算案の審議が始まります。参院選を7月にひかえ、会期が短い今国会最大のテーマであり、野党最大の見せ場です。

■民主党にとっての山場

 特に、民主党にとっては野党勢力を予算案反対で結集できるかどうかが問われることになります。

 2012年度補正予算案は、野党勢力が賛成と反対に割れてしまい、自公両党が過半数割れしている参議院でも可決してしまいました。これは、自公の国会日程に対する譲歩や、昨年以来の円安株高傾向による成果もあるでしょう。しかし同時に、民主党が野党共闘の盟主になれないことを露呈したとも言えます。

 もし、2013年度予算案も両院で可決してしまったら、民主党の立つ瀬がないです。なぜなら、政権奪取をねらう野党の国会闘争の成果は政府・与党案の成立阻止、あるいは成立遅延、ぐっと下がって修正によって測られるからです。

 与党が過半数を占めていない参議院で議案を可決させるということは、民主党にとっては大敗北です。


なぜ政治は面白いのか?


■駆け引きが面白い

 なぜ政治を面白いと思うのか、ちょっと考えてみました。

 面白い政治の話を目にしたときの感覚は、駆け引きの要素がある漫画や小説、ドラマをみたときのそれと近い気がします。

 政治は考えなければならないことが多く、駆け引きも盛り上がります。自党の議席数、自派閥の議員数、資金量、制度、時間、経済状況、国際情勢、圧力団体などなど。とんでもないところで足をすくわれたり、逆に意外なところから助けがきたり、展開の意外性もあります。

 また、駆け引きにはその人の人間性が出ます。政治では1対1の話合いになる場面もあり、人間と人間のぶつかり合いになります。これも魅力的です。

■解釈の楽しさ

 そして、解釈する楽しさもあります。「どうしてそうなったか?」という疑問を、自分なりに考えていく、パズル的な楽しさです。

 最近なら「どうして野田前首相は解散したのか?」。昔なら「どうして三木内閣は衆議院の任期満了まで存続できたのか?」。もっと昔なら「徳川慶喜の権力基盤はどこにあったのか?」。いろいろなパズルがあります。

■ブログの位置づけ

 ひたすら国会の制度を調べているのも、パズルを解くのに使う道具を揃えるためです。最終的には、パズルに自分なりの答えを出して、政治の動きを予想できるようになりたいと思っています。

 全盛期の竹下登元首相は、政治の動きを予想してほとんど間違わなかったと言われています。竹下さんの予想は「竹下カレンダー」と呼ばれました。政治を楽しみながら、その境地にいたるまでのログをこのブログに残していければ最高です。


強行採決とは


■強行採決のイメージ

 騒然とする委員会室。野党議員に羽交い締めにされそうになりながら、委員長はマイクを握りしめ、声を張り上げます。

 「本案に賛成の諸君の起立を求めます!」

 委員長の叫びに応え、与党議員が一斉に起立します。与党議員が起立するや否や、委員長は宣言します。

 「起立多数。よって、本案は原案のとおり可決すべきものと決しました。」

 私の中の強行採決のイメージはこういうものです。

■どうなると強行採決か

 強行採決とは、与野党理事の話し合いがつかずに「採決」を強行することを言います。

 原則として、委員会の議事進行は各委員会の理事会や理事懇談会で決められます。しかも、その決定は全会一致とする慣例になっています。全会一致なので、野党理事が賛成しない限り議事進行は決まりません。

 与野党が激しく対立している議案の場合、野党はありとあらゆる手を使って議事を遅延させようとします。その遅延策のひとつが、採決に応じないことです。採決しなければ、審議は終わりません。いくら与党の議席が多くても、採決して賛成多数で可決しなくては先にすすまないのです。

 よって、どうしてもその議案を通したいときは、与党は数の力を行使するために、強行採決をすることになります。数の暴力をふるうのも結構大変なのです。

■強行採決が必要なときとは

 野党の議事遅延策、議事妨害が厄介なのは、それによって時間を消費してしまうためです。

 政府・与党が成立させなければならない法案はひとつやふたつではありません。夏の参議院選挙を控え、例年より政府提出法案が少ないといわれている今年(2013年)の通常国会でも、その数は60を超えています。政府・与党の立場からすると、審議は十分しなければなりませんが、ひとつひとつの法案にあんまり時間をかけるわけにもいかないのです。あんまり時間をかけると、何一つ決まらない事態に陥りかねないからです。

 国会は審議する場所でもありますが、決めるところでもあります。何も決めないと、それはそれで国会の権威は危うくなります。

 また、与党であるからには、少なくとも衆議院では多数の議席を占めているはずです。ということは、野党より多くの国民の支持を得ているはずなのです。多数の意見もまた、国政に反映させなければなりません。

 少数意見を大切にするのはいいことです。しかし、少数意見が常に多数意見を封じ込めてしまうのはよくありません。それは少数の独裁であり、民主主義の目指すものとは違うはずです。

 最終的に決断するため、強行採決が必要なときもあります。


足を引っ張るのが野党の仕事


■野党になっても批判される民主党

 2013年2月16日現在。昨年末の衆議院総選挙で野党になった民主党の国会戦略に批判が高まっています。民主党政権時代に苦労し、自ら緩和を申し出た「事前報道ルール」の見直しに対する姿勢が曖昧なところを挙げて、「民主党は抵抗野党に堕した」とまで言う人がいます。

 事前報道ルールが妥当なものかどうかはさておき、野党は抵抗するのが仕事なので、政府・与党の足を引っ張ることを一概に批判はできません。

■野党の役割は政府に再考を促すこと

 野党というのは何かというと、国会に議席を持ち政府に関与していない会派のことです。国会に議席のない野党もいなくはないでしょうが、力はありません。この場合の力には、いくつか種類があります。

 ひとつは議決権のことです。議決権があると、政府提出法案に反対票を投じ、成立を阻止できます。これは国会議員でなくてはできないことです。

 もうひとつは、国会のスケジュールに関与できることです。国会の委員会のスケジュールは、各委員会の理事によって決定されます。スケジュールを決められると、審議を始めるのを遅らせることや、採決を先送りし続けることで審議を長引かせることができます。国会の会期末までに議案が採決されなければ廃案となり、少ない議席数でも、政府に待ったをかけることができます。これも国会議員でなければできないことです。

 どの力も、国会という場で政府の施策に再考を促すことを可能にします。政府に再考を促すことは、政府、もっと言えばその実質的な運営者である官僚の好き勝手を許さないということにつながります。

■野党も国民の代表

 野党であるからには、政府・与党の方針に反対の意見があるはずです。なかったら別の政党として存在している価値がありません。そして、その意見は、単に野党議員の意見であるというだけではなく、野党議員に投票した国民の意見でもあるはずなのです。

 野党は政府・与党に反対の意見を持った国民の代表です。その意見もまた、尊重されなければなりません。野党は、自らを支持した国民の声を届けるためにできるすべてのことをやる義務があるはずです。

 その義務を果たす方法のひとつが、政府・与党の足を引っ張ることなので、ある程度の議事妨害はやむを得ないところだと思います。


政治家の育成と有権者について


■政治家を育てるためには、有権者の忍耐が必要?

 2013年1月19日現在。今朝の読売新聞朝刊4面、「政治の現場」欄で「民主再建」という連載が始まりました。「民主党再建への取り組みと、その課題を追う。」連載だそうです。

 第一回の記事の後半に出てきたのは、昨年12月の衆議院総選挙で落選した、仙谷由人元官房長官です。そのなかで特に目を引いた部分を引用します。

党再生に向けて、仙谷は「党としてきちんとした政治家を育てることだ」と考えている。そのためには、時間もコストもかかる。選挙のたびに、支持政党を変える有権者に忍耐を求めたい気持も仙谷にはある。

 引用した部分の「」で囲まれた部分は仙谷さんのコメントだと考えていいと思いますが、地の文はどうでしょうか。読売の記者の感想かもしれません。誰の意見にせよ、こういう、変動する民意による急激な政権交代を憂う意見はよくあります。

 民主党再生を担う政治家を育てるには、時間もコストもかかるというのはわかります。当たり前ですね。しかし、それと選挙のたびに支持政党を変える有権者と何の関係があるのでしょうか。

■有権者の忍耐とは?

 そもそも、現行の小選挙区比例代表並立制は、選挙で勝った政党がガンガン思い通りに政策遂行するための制度です。このため、選挙と選挙の間は、有権者に政治を変える力はほとんどありません。政権与党に幻滅した有権者は、選挙がない間ずっと忍耐し続けているわけです。これ以上何を忍耐しろというのでしょうか。

 「支持政党を変える有権者に忍耐を求める」というからには、「忍耐」には支持政党を変えるな、という意味があるわけです。ところで、有権者には決まった支持政党がない人たち、いわゆる無党派層が存在します。無党派層としては、支持政党を変えるもなにも、その時点でいいと思った政党に投票するのです。そのような無党派層にまで忍耐を求められても困ります。それとも、有権者なら支持政党をしっかり決めておくべき、とでも言うのでしょうか。

 そうだとすると、一度支持政党を決めたら、有権者はよほどのことが起こらなければ支持政党を一定の期間変えてはならないということになります。しかし、「よほどのこと」も、「一定の期間」も人によって異なることは明白です。絶対的な基準はなく、いつどのように変えても自由なはずです。したがって、有権者の支持政党選択について、忍耐を求めるのは不当です。

■議員でなければ、与党でなければ政治家は育たないのか?

 思うに、この意見にはひとつの前提があります。それは、「政治家は議員という職になければ成長しない」というものです。ときには、この前提は「議員は政権与党に所属して政府の役職につかなければ成長しない」という厳しいものになることもあるようです。

一度も議員になったことがない政治家に関して言うならば、議員として議会で活動することで初めてわかることもあるでしょうから、そういう前提も成り立つでしょう。しかし、既に一期以上務めている政治家にもそれは当てはまるでしょうか。

 「議席を失って議会から離れることで政治家としての成長が止まる」というのだったら、もうその政治家を当選させる必要はありません。その選挙区の現職議員が出馬をやめるまで、ずーっと現職議員にまかせればいいのです。同じ理屈で、「政権与党でないと情報が入ってこないし、行政にも入れないので政治家としての成長が止まる」というのだったら、野党は永遠に野党のままにするのが合理的ということになります。

 そんな馬鹿な話はありません。議席を持っていることで、政権与党にいることで得られるものはあるでしょうが、それだけが成長する機会のすべてではないはずです。もしかしたら、現状では実地に経験を積む以外の成長の機会は乏しいかもしれません。しかし、それは有権者の投票行動とはまったく別の話であって、各政党による努力や工夫が必要なところです。

■有権者に求めるべきもの

 もし有権者に求めるべきものがあるとしたら、投票行動の硬直化ではなく、政党や政治家個人への寄付だと思います。寄付が増えれば、党や政治家の経済状態がよくなり、落選した政治家や、当選したことのない新人政治家が政治活動をしたり勉強したりする余裕ができるはずです。政治活動を支援するものとしては政党交付金もありますが、これは議員数に応じてもらえる額が変わってくるので、議席のない政治家を育てるという点ではあまりあてにできません。

 そして、寄付を増やすには、政治活動への寄付に特典を与える制度を整備することと、なにより、政治に対する興味を醸成するようなコンテンツを粘り強く地道に作っていくことが不可欠です。

 有権者に求めるよりさきに、いくらでもやれることはあるはずです。他人である有権者を変えようとするより、政治家自身が変わることを考えた方が前向きですしね。


「八重の桜」と政治への興味の原点


■溜の間のシーン

 今年2013年の大河ドラマ「八重の桜」。初回はペリー艦隊の再来まででした。番組終盤、大名が江戸城黒書院(くろしょいん)西湖の間でペリーにどう対応するか協議するシーンがありました。

 「鎖国政策は国の基本政策であるため、開国は断固反対。ペリー艦隊を攻撃せよ」との海防参与徳川斉昭(なりあき)の訴えを受け、老中阿部正弘は「掃部頭(かもんのかみ)殿はどのように思いますか?」と彦根藩主、井伊直弼に話を振ります。井伊は「いまペリーと戦うのはやめておき、とりあえず相手の要求を受け入れておいて、あとは臨機応変に対応していくべきです」と述べます。

 阿部は、ほかの大名の意見も求めます。すると、物語の主人公・八重の実家の主君である会津藩主松平容保が、「自分も砲台を任せられていて、現地視察をしたりしているのですが、装備が貧弱すぎてとても戦える状態ではありません」と発言します。

 開国に賛成する意見に対して、さらに何か言おうとする斉昭の機先を制し、井伊が「溜の間詰一統(たまりのまづめいっとう)、開国にて一致にござります」と宣言します。その言葉を受け、阿部が何かの書類を井伊に差し出すと、井伊はそれに筆をとって何かを書きつけるところで、西湖の間のシーンは終わりました。

 溜の間詰というのは、黒書院に詰めることができる、格式の高い大名らのことを指す言葉です。溜の間詰は単にその場所にいることができるだけでなく、重大事があれば、今でいう内閣である幕閣から諮問されることがあったようです。

■心打たれる

 私はなぜか、このシーンに強く心を打たれました。理由のひとつは、開国という当時の日本の最重要政策が、どのような過程で形成されていったのか、その一端を目撃したような気持ちになったからだと思います。

 理由はもうひとつあります。

 私は幼い頃、両親が参加していた地元サークルの集まりに連れられていました。そこは、いろいろな人達がいろいろな意見を言いあっているサロンのようなところでした。

 大人の真似をしたがるときにそういう場所にいたため、話し合いや会議というものに強い憧れを持ったのだと思います。だから、話し合いや会議の結果が力を持つ政治や、制度、組織に今も惹かれ続けているのかもしれません。

 このようなシーンをほかにも見ることができるなら、今年の大河ドラマも期待できそうです。

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294議席を武器にするために


■新人議員の初登院

 2012年12月27日現在。昨日26日は特別国会の召集日で、先日の衆議院総選挙で初当選した人が、国会に初登院した日になりました。

 今朝の朝刊で、今回294議席を獲得した自民党の石破幹事長が、新人議員に対して訓示したという記事がありました。やれ「年末年始の予定を出せ」だの、「本会議中に席を外したときは、トイレか中座かチェックする」だの言われ、「ここは小学校か」という声が漏れたとか。

 記事では、「大幅に増えた議席によって新人議員も増えた。新人議員の不注意によって政権を危機に陥らせないようにする自民党執行部の苦労が見える」というようにしめていましたが、大幅に議席が増えたことによるリスクは、新人議員だけにあるわけではありません。

■294議席の統制

 多くの議席を武器にするために絶対的に必要な条件があります。それは、多くの議席を完全に統制することです。

 少なくとも、国会の本会議の採決の際だけでも議席を統制する、つまりすべての議員に賛成票を投じさせることができなければ、議席数はなんの意味もありません。現在の自民党で言うと、294議席が一体となって動かなくては、なにもできなくなってしまうのです。

 参議院で否決された法案を衆議院で再議決して成立させるには、公明党の協力も得なくてはならないので、自民党はなおさら自らの議席をがっちりと握っていなければなりません。新人議員にとどまらず、すべての議員をコントロールしなければ、政権運営は立ち行かない訳です。

 これは、民主党政権で造反者や離党者が続出したことからもうかがえます。民主党は前々回の衆議院総選挙で300を超える議席を獲得したのにもかかわらず、今年11月の解散時には230議席と、過半数の241議席を下回る数になってしまいました。このようなことでは、政権運営どころか政権の維持すら難しいです。現に、民主党は政権を失ってしまいました。

 党はひとつとはいえ、人はひとりひとりみんな違います。大体同じ主張でも、どこかで違いもでてきます。これを294人分統制するのは並大抵のことではありません。そのためには、党内の政策グループである派閥をうまく使う必要もでてきます。

 総裁一人で300人分支配することがむりでも、人数が50人程度ならなんとか支配できるかもしれません。派閥をうまくおさえることで、党内をまとめあげ、国会運営の不安要素を減らして、政権運営を安定させることができます。

 安倍首相は大変です。野党だけでなく、公明党、そして自民党もしっかりコントロールしないといけないのです。野党対策だけでなく、自民党対策もまた、注目すべき点のひとつです。


首班指名選挙と参議院の情勢


 2012年12月26日現在。衆議院と参議院の両院で自民党の安倍総裁が内閣総理大臣に指名されました。

 昨日書いた記事では、参議院の「議席数から考えると、今日中に決まる予定の民主党の新代表が一番多くの票を得る」と書きました。しかし、参議院のサイトを確認すると、民主党の87議席に対し、自民党(83)と公明党(19)をあわせる102議席となっています。第一回投票から安倍さんが一番多くの票を得ることは決まっていたわけです。間違えてしまいました。

 第一回投票で過半数を獲得した候補者がいなかったため、安倍さんと民主党の海江田代表で決選投票が行われ、安倍さん107票、海江田さん96票で安倍さんが指名されました。自公や民主党以外のほとんどの党は白票を投じ、その数は30票にのぼりました。また、新党改革や新党大地は安倍さんに、日本未来の党は海江田さんにそれぞれ投票したようです。

 この決選投票の結果得た票数を自公がコントロールできる議席数とみると、自公が参院を動かすのに必要な議席はあと12〜15議席程度となります。幅があるのは、現在参議院に欠員が存在していて236議席となっているためです。

 安倍さんが目指している日銀法改正など、民主党が対決姿勢をとるとみられる案件については、この12〜15議席をなんとか工面しなければなりません。

 民主、自民、公明に次ぐ議席を持つのは、11議席を保有するみんなの党です。みんなの党もまた、日銀法改正や積極的な金融政策の活用を訴えているため、自公と協調する場面があるかもしれません。ただ、みんなの党の議席を加えても過半数にはまだ届かないため、民主党議員を造反させるか欠席させる(欠席がでると過半数ラインが下がります)、または国民新党や日本維新の会から協力を得るなどしないとならないでしょう。

 自公が参議院で協力を得るには、衆議院でも少数政党に配慮した議会運営が必要になると思われます。衆議院での振る舞いによって、参議院で報復される可能性があるからです。衆議院で多数をの議席を持っていても、参議院に配慮しないといけないわけですね。


特別国会召集


 2012年12月25日現在。先週末22日に「平成二十四年十二月二十六日に、国会の特別会を東京に召集する詔書」が渙発されており、明日26日に特別会、いわゆる特別国会が開かれます。この特別国会の主な役割は、何と言っても新しい内閣総理大臣を決めることです。これを「首班指名選挙」といいます。この前の衆議院総選挙の結果、自民党と公明党は衆議院で大量の議席を獲得したので、新しい総理大臣には自民党総裁である安倍衆議院議員が指名される見込みです。

 その他の案件と同じように、参議院でも総理大臣の指名をします。衆議院は自公が圧倒的な勢力を擁していますが、参議院はいまだ民主党が第一党の座を保持しています。参議院で誰が総理大臣に指名されるかは大変興味深いです。

 議席数から考えると、今日中に決まる予定の民主党の新代表が一番多くの票を得ることになります。ただし、首班指名選挙においては過半数の票を獲得した候補がいないとき、上位2名による決選投票を行うことになります。民主党は参議院で一番多くの議席を擁していますが、過半数にはとどかないため、民主党代表と安倍さんの決選投票が行われるはずです。

 このとき、民主党と自民党・公明党以外の勢力がどちらに投票するかで、参議院が自民党・公明党に近くなるか、最初から遠くなるかがわかります。

 総理大臣の指名も、予算と同じように衆議院の優越があり、最終的には衆議院で指名された国会議員が総理大臣になります。ほぼ確実に成立する安倍内閣にとって、参議院は話せる相手になるのか、それとも完全な敵になるのか。

 明日の特別国会を注目しています。


変わらない自分と選挙


 過去の行動と整合性のある行動をしようとすることがあります。ちょっと変なたとえをすると、ポイ捨てしている高校生を見かけたとして、「以前ものすごく怖そうな人がポイ捨てしているときは注意しなかったのに、この子を注意するのはいけないんじゃないか」、と思ってやはり何も言わないようなものです。

 こういう行動の粘着性みたいなものは何によって高まるのでしょうか。過去の自分と現在の自分、そして未来の自分が同じでありたいという気持ちがそうさせるのでしょうか。

 それはさておき、過去の行動と整合性のある行動をしようとするのは、個人だけでなく組織、国家レベルでも同じではないかと思います。例えば、「過去のAにたいしては、Bと対応して一定の成果をあげているので、それと同じA’に対してもBと対応する」というような前例踏襲型の行動は、説得力があります。この場合の説得力とは、行動に対する正統性です。国の場合、行動するのは国家権力で、行動の対象は国民になるので、国家から国民に対する説得・理由の説明がしやすいということになります。

 ただ、前例踏襲型だと、新しい事態に対応することは難しくなります。特に、対象自体は変わっていないのに、今までの対応が全く効果をあげなくなったような場合は、厄介です。どこかで行動を見直さないといけません。

 政治が国家の習慣形成の過程だとすると、政権交代とは、元旦の決意のようなものだと思います。ずーっと何となく停滞してきたところで、ある機会にガッと決意して新しい習慣を打ち立てようとするわけです。国家の場合は、憲法で選挙の間隔=決意の機会が定められているので、新しい行動をする機会がその分増えます。

 一個人の場合はなかなかそういう義務としての決意の機会はないので、なかなか変われないのかもしれません。変わるという観点からみれば、現在の衆議院総選挙でとられている小選挙区比例代表並立制はなかなかいいです。そういう制度を自分にも構築できると面白いかもしれません。

 2009年の衆議院選挙の民主党圧勝と、今年の選挙の自民党圧勝から、「触れ幅の大きい小選挙区制は危険じゃないか」、「安定を求めるなら、中選挙区制の方がいいのではないか」という意見がちらほらみられるようになってきました。しかし、変わることと同じくらい、「変わらないこと」にもリスクがあることを考えると、一概に今の選挙制度が悪いとは言えないと思います。