変わらない自分と選挙


 過去の行動と整合性のある行動をしようとすることがあります。ちょっと変なたとえをすると、ポイ捨てしている高校生を見かけたとして、「以前ものすごく怖そうな人がポイ捨てしているときは注意しなかったのに、この子を注意するのはいけないんじゃないか」、と思ってやはり何も言わないようなものです。

 こういう行動の粘着性みたいなものは何によって高まるのでしょうか。過去の自分と現在の自分、そして未来の自分が同じでありたいという気持ちがそうさせるのでしょうか。

 それはさておき、過去の行動と整合性のある行動をしようとするのは、個人だけでなく組織、国家レベルでも同じではないかと思います。例えば、「過去のAにたいしては、Bと対応して一定の成果をあげているので、それと同じA’に対してもBと対応する」というような前例踏襲型の行動は、説得力があります。この場合の説得力とは、行動に対する正統性です。国の場合、行動するのは国家権力で、行動の対象は国民になるので、国家から国民に対する説得・理由の説明がしやすいということになります。

 ただ、前例踏襲型だと、新しい事態に対応することは難しくなります。特に、対象自体は変わっていないのに、今までの対応が全く効果をあげなくなったような場合は、厄介です。どこかで行動を見直さないといけません。

 政治が国家の習慣形成の過程だとすると、政権交代とは、元旦の決意のようなものだと思います。ずーっと何となく停滞してきたところで、ある機会にガッと決意して新しい習慣を打ち立てようとするわけです。国家の場合は、憲法で選挙の間隔=決意の機会が定められているので、新しい行動をする機会がその分増えます。

 一個人の場合はなかなかそういう義務としての決意の機会はないので、なかなか変われないのかもしれません。変わるという観点からみれば、現在の衆議院総選挙でとられている小選挙区比例代表並立制はなかなかいいです。そういう制度を自分にも構築できると面白いかもしれません。

 2009年の衆議院選挙の民主党圧勝と、今年の選挙の自民党圧勝から、「触れ幅の大きい小選挙区制は危険じゃないか」、「安定を求めるなら、中選挙区制の方がいいのではないか」という意見がちらほらみられるようになってきました。しかし、変わることと同じくらい、「変わらないこと」にもリスクがあることを考えると、一概に今の選挙制度が悪いとは言えないと思います。


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