2012年11月20日現在。昨日は、「重要法案が未成立のままでは解散できない」という責任感が、野田首相に解散をさせなかった可能性を考えました。そして、もしそうだとしたら、責任感があったせいで重要法案成立が11月まで遅れたことになり、ちぐはぐな対応であったと評価せざるをえないことを指摘しました。
この評価はちょっと厳しいかもしれません。解散権は首相にありますが、首相が自由に解散できるとは限らないからです。例えば、ワンマンと呼ばれた吉田茂でさえ、解散しようと望んでできなかったことがあります(詳しくは、「そもそも解散できるのか」)。世論が厳しかったり、周囲の人間が強硬に反対したら首相といえども解散できないのです。
今日は、「首相には解散する意思があったが、周囲の同意を得られなかったため解散できなかった」可能性を考えたいと思います。
「近いうちに解散する」という約束をした8月時点で、周囲の同意があったかなかったかと言えば、なかったでしょう。それは、いつの間にか解散の条件となっていた重要法案である、特例公債法案と衆議院の選挙制度改革法案を8月末時点で急に衆議院で強行採決し、与党自ら国会を積極的に空転させたことから伺えます。
強行採決とは、委員会開会に必要な理事会で理事が揃わなかったり、審査のスケジュールに反対の理事がいる状態でスケジュールを決めることや、スケジュール上は採決する予定じゃなかったのに審査中に動議が出されて採決したりすることを指します。
政府としての対応を決める最高責任者は首相ですが、国会戦略を決める最高責任者は幹事長です。
民主党の場合、野田首相が民主党代表に選出されてから、輿石東参議院議員が幹事長を務めています。輿石幹事長は年内の解散に消極的だったと報道されており、8月末の強行採決も輿石幹事長の意向に沿ったものでしょう。
首相と二人三脚で歩むべき与党幹事長が解散に反対では、なかなか解散はできません。まして、幹事長は選挙対策の責任者でもあります。解散後の選挙戦を戦うためには、幹事長の協力が不可欠です。
ただ、輿石さんが解散に反対なのは、8月も11月も変わりないように見えます。新聞報道によると、解散のあと、民主党最大の支持団体である連合に首相と輿石さんが挨拶に行った時、輿石さんは無言だったそうです。
最終的に野田首相が解散を断行したことから考えると、民主党の仲間に解散を止められたから解散できなかったというわけではなさそうです。
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