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官報で見る国会召集の詔書


2013年1月22日現在。先週末、「平成二十五年一月二十八日に、国会の常会を東京に召集する詔書」が渙発され、来週28日に通常国会が召集されることになりました。

国会の召集は、憲法が定めた天皇の国事行為のひとつです。国会関係の国事行為には、昨年11月にあった衆議院の解散や、同じく12月の衆議院総選挙の公示などがあります。

文面は以下のようになっています。

 日本国憲法第七条及び第五十二条並びに国会法第一条及び第二条によって、
平成二十五年一月二十八日に、国会の常会を東京に召集する。
御 名  御璽
平成二十五年一月十八日
内閣総理大臣臨時代理
国務大臣 麻生 太郎

普通、詔書は「〜する」という本文と御名御璽(天皇の名前とはんこ)のあとに、内閣総理大臣が署名します。これを副署といいます。今回は、安倍首相が外遊中だったためか、内閣総理大臣臨時代理として麻生財務相が副署していますね。私は、最近官報をチェックし始めたので、臨時代理が副署した詔書は初めて見ました。

官報をインターネットでチェックしたい方は、ここで過去30日分を確認できます。


政治家の育成と有権者について


■政治家を育てるためには、有権者の忍耐が必要?

 2013年1月19日現在。今朝の読売新聞朝刊4面、「政治の現場」欄で「民主再建」という連載が始まりました。「民主党再建への取り組みと、その課題を追う。」連載だそうです。

 第一回の記事の後半に出てきたのは、昨年12月の衆議院総選挙で落選した、仙谷由人元官房長官です。そのなかで特に目を引いた部分を引用します。

党再生に向けて、仙谷は「党としてきちんとした政治家を育てることだ」と考えている。そのためには、時間もコストもかかる。選挙のたびに、支持政党を変える有権者に忍耐を求めたい気持も仙谷にはある。

 引用した部分の「」で囲まれた部分は仙谷さんのコメントだと考えていいと思いますが、地の文はどうでしょうか。読売の記者の感想かもしれません。誰の意見にせよ、こういう、変動する民意による急激な政権交代を憂う意見はよくあります。

 民主党再生を担う政治家を育てるには、時間もコストもかかるというのはわかります。当たり前ですね。しかし、それと選挙のたびに支持政党を変える有権者と何の関係があるのでしょうか。

■有権者の忍耐とは?

 そもそも、現行の小選挙区比例代表並立制は、選挙で勝った政党がガンガン思い通りに政策遂行するための制度です。このため、選挙と選挙の間は、有権者に政治を変える力はほとんどありません。政権与党に幻滅した有権者は、選挙がない間ずっと忍耐し続けているわけです。これ以上何を忍耐しろというのでしょうか。

 「支持政党を変える有権者に忍耐を求める」というからには、「忍耐」には支持政党を変えるな、という意味があるわけです。ところで、有権者には決まった支持政党がない人たち、いわゆる無党派層が存在します。無党派層としては、支持政党を変えるもなにも、その時点でいいと思った政党に投票するのです。そのような無党派層にまで忍耐を求められても困ります。それとも、有権者なら支持政党をしっかり決めておくべき、とでも言うのでしょうか。

 そうだとすると、一度支持政党を決めたら、有権者はよほどのことが起こらなければ支持政党を一定の期間変えてはならないということになります。しかし、「よほどのこと」も、「一定の期間」も人によって異なることは明白です。絶対的な基準はなく、いつどのように変えても自由なはずです。したがって、有権者の支持政党選択について、忍耐を求めるのは不当です。

■議員でなければ、与党でなければ政治家は育たないのか?

 思うに、この意見にはひとつの前提があります。それは、「政治家は議員という職になければ成長しない」というものです。ときには、この前提は「議員は政権与党に所属して政府の役職につかなければ成長しない」という厳しいものになることもあるようです。

一度も議員になったことがない政治家に関して言うならば、議員として議会で活動することで初めてわかることもあるでしょうから、そういう前提も成り立つでしょう。しかし、既に一期以上務めている政治家にもそれは当てはまるでしょうか。

 「議席を失って議会から離れることで政治家としての成長が止まる」というのだったら、もうその政治家を当選させる必要はありません。その選挙区の現職議員が出馬をやめるまで、ずーっと現職議員にまかせればいいのです。同じ理屈で、「政権与党でないと情報が入ってこないし、行政にも入れないので政治家としての成長が止まる」というのだったら、野党は永遠に野党のままにするのが合理的ということになります。

 そんな馬鹿な話はありません。議席を持っていることで、政権与党にいることで得られるものはあるでしょうが、それだけが成長する機会のすべてではないはずです。もしかしたら、現状では実地に経験を積む以外の成長の機会は乏しいかもしれません。しかし、それは有権者の投票行動とはまったく別の話であって、各政党による努力や工夫が必要なところです。

■有権者に求めるべきもの

 もし有権者に求めるべきものがあるとしたら、投票行動の硬直化ではなく、政党や政治家個人への寄付だと思います。寄付が増えれば、党や政治家の経済状態がよくなり、落選した政治家や、当選したことのない新人政治家が政治活動をしたり勉強したりする余裕ができるはずです。政治活動を支援するものとしては政党交付金もありますが、これは議員数に応じてもらえる額が変わってくるので、議席のない政治家を育てるという点ではあまりあてにできません。

 そして、寄付を増やすには、政治活動への寄付に特典を与える制度を整備することと、なにより、政治に対する興味を醸成するようなコンテンツを粘り強く地道に作っていくことが不可欠です。

 有権者に求めるよりさきに、いくらでもやれることはあるはずです。他人である有権者を変えようとするより、政治家自身が変わることを考えた方が前向きですしね。


江戸時代:溜間詰とは


■溜間詰について調べる

 NHK大河ドラマ「八重の桜」に出てきた「溜間詰(たまりのまづめ)」が気になって気になってしょうがないので、図書館で調べてみました。

 レファレンスルームに行って、日本史コーナーを探します。河出書房から出ている「日本歴史大辞典」の第6巻に「たまりづめ 溜詰」という項目を見つけることができました。溜詰は、溜間詰の略だそうです。

■溜間詰とは

 溜間詰というのは、江戸時代の親藩大名や譜代大名のうち、江戸城内にある黒書院(くろしょいん)溜間に席をもっている大名のことを指します。親藩大名というのは、将軍の親戚にあたる大名です。また、譜代大名というのは、関ヶ原の戦い以前から徳川家に仕えた大名のことです。この親藩・譜代大名のなかでも特に高い格式のある大名と、老中経験者が溜間詰になりました。老中とは、将軍直属の幕政全体を取り締まる役職です。

 溜間詰は幕政について老中と話し合ったり、直接将軍に意見を具申できました。また、江戸城内では、常に現役の老中の上座にいて、権威だけなら老中よりも上の扱いを受けていました。

 ただ、時代が下るにしたがって溜間詰の人数も増えてきて、その権威も落ちていったそうです。

■幕末の政治力学

 ドラマにあった通り、ペリー来航にあたっての対応について、溜間詰を代表する保守派の彦根藩主・井伊直弼と、雄藩(勢力の強い藩)代表の改革派である水戸の徳川斉昭の激しい対立があったことは、「井伊直弼」で日本史の辞典をひくと必ず出てきます。したがって、その時点において溜間詰というのがひとつの政治勢力であったことは間違いありません。

 「日本歴史大辞典」には溜間詰の権威がなくなっていったと書いてありました。これは、ペリー来航の時点ではまだあったけれども、井伊直弼が暗殺される桜田門外の変を経てさらに低下していったのでしょうか。それとも、ペリー来航以前に権威がなくなっていたのだけれども、何かのきっかけがあって少し勢力を持ち直したのでしょうか。まだわかりません。

 どうも、ペリー来航時の老中・阿部正弘の政策遂行方針と、その前の時代、水野忠邦による天保の改革に、溜間詰と雄藩の勢力消長のヒントが隠されているように感じます。これがわかれば、幕末の政治力学も理解できるのではないかとも。

 締め切りがあるわけでもないので、ゆっくり調べてみようと思います。


民主党、意思決定過程を議論


 2013年1月16日現在。今朝の日経朝刊政治面に、民主党が党内意思決定について議論しているという評論がありました。この評論では、「(意思決定についての議論は)内向きの議論だ。もっとほかに話し合うことがある」という民主党議員の声で締めていて、あんまり評価されていない感じです。

 私はむしろ意思決定についての議論こそ、第一にしなければならないものだと思います。なぜなら、民主党の意思決定方法が確立しないことには、ほかの議題を話し合うとしても、なにがどうなったら民主党としての意見になるかが曖昧なままになってしまうからです。これでは、党としてのまとまりに欠けます。

 民主党に、自民党のような政務調査会で話し合ったことを更に総務会で決議する意思決定の仕組みがないことで、民主党議員が民主党としてまとまることが難しくなっていることは、参議院の石井予算委員長も指摘しています。この記事 は、石井予算委員長の講演がもとになっていて、民主党の意思決定過程の弱点がよくわかります。

 来月には、民主党の基本理念などを定める綱領の策定する党大会が開かれる予定です。党再生を目指すなら、来月までに意思決定過程をしっかり議論し、党大会で正式に決定できるようにするべきだと思います。


「八重の桜」と政治への興味の原点


■溜の間のシーン

 今年2013年の大河ドラマ「八重の桜」。初回はペリー艦隊の再来まででした。番組終盤、大名が江戸城黒書院(くろしょいん)西湖の間でペリーにどう対応するか協議するシーンがありました。

 「鎖国政策は国の基本政策であるため、開国は断固反対。ペリー艦隊を攻撃せよ」との海防参与徳川斉昭(なりあき)の訴えを受け、老中阿部正弘は「掃部頭(かもんのかみ)殿はどのように思いますか?」と彦根藩主、井伊直弼に話を振ります。井伊は「いまペリーと戦うのはやめておき、とりあえず相手の要求を受け入れておいて、あとは臨機応変に対応していくべきです」と述べます。

 阿部は、ほかの大名の意見も求めます。すると、物語の主人公・八重の実家の主君である会津藩主松平容保が、「自分も砲台を任せられていて、現地視察をしたりしているのですが、装備が貧弱すぎてとても戦える状態ではありません」と発言します。

 開国に賛成する意見に対して、さらに何か言おうとする斉昭の機先を制し、井伊が「溜の間詰一統(たまりのまづめいっとう)、開国にて一致にござります」と宣言します。その言葉を受け、阿部が何かの書類を井伊に差し出すと、井伊はそれに筆をとって何かを書きつけるところで、西湖の間のシーンは終わりました。

 溜の間詰というのは、黒書院に詰めることができる、格式の高い大名らのことを指す言葉です。溜の間詰は単にその場所にいることができるだけでなく、重大事があれば、今でいう内閣である幕閣から諮問されることがあったようです。

■心打たれる

 私はなぜか、このシーンに強く心を打たれました。理由のひとつは、開国という当時の日本の最重要政策が、どのような過程で形成されていったのか、その一端を目撃したような気持ちになったからだと思います。

 理由はもうひとつあります。

 私は幼い頃、両親が参加していた地元サークルの集まりに連れられていました。そこは、いろいろな人達がいろいろな意見を言いあっているサロンのようなところでした。

 大人の真似をしたがるときにそういう場所にいたため、話し合いや会議というものに強い憧れを持ったのだと思います。だから、話し合いや会議の結果が力を持つ政治や、制度、組織に今も惹かれ続けているのかもしれません。

 このようなシーンをほかにも見ることができるなら、今年の大河ドラマも期待できそうです。

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どうして、「来年度予算成立は5月」なのか〜予算編成のスケジュールから考える


 2013年1月9日現在。一昨日、1月7日に各省庁の補正予算に対する要望が締め切られました。同時に、自民党の政務調査会部会も仕事始めとなり、緊急経済対策に向けての話し合いも始まりました。「1月11日に自民党が緊急経済対策を策定する」という報道からすると、1月11日に総務会で決定するスケジュールだと思われます。

 さて、安倍政権発足前後から、「2013年度予算成立は5月の連休明けになる」との報道がされていました。今まで、どのような根拠で政治家や新聞記者がこのような見通しを出せるのかいまいちわからなかったのですが、予算審議や予算編成について調べるうちに、だんだんその根拠がわかってきました。

■予算編成のスケジュール

 予算編成はどのように行われているでしょうか。ポイントとなる月は、8月と12月、そして1月です。

■8月末:各省庁の概算要求

 8月末を目処に、各省庁が財務省に来年度予算を要求します。これを概算要求と呼びます。

■9月〜12月:予算査定

 9月から、予算編成を担当する財務省主計局の主計官(各省庁課長級)や主査(各省庁課長補佐級)が中心となり、各省庁の課長や課長補佐から説明を受けながら予算査定を行っていきます。

■12月下旬:政府案閣議決定

 12月下旬には、来年度予算の財務省原案が発表されます。それをもとに、政府は来年度予算案を閣議決定します。閣議決定するということは、予算案を国会に提出する準備が整うということです。ちなみに、平成24年度予算案は、2011年12月24日に閣議決定されています。

■1月下旬:政府案を衆議院に提出

 1月下旬、通常国会の召集日には政府案を衆議院に提出します。実質的な審議は、首相の施政方針演説や、財務大臣、外務大臣の演説とそれに対する質疑が終わったあと、召集から1週間程度たってから始まります。ただし、補正予算の審議を行う場合は、補正予算の成立を待ってから来年度予算の審議が始まるので、さらに1週間程度あとになります。

■予算成立5月説の根拠

 以上が予算編成のスケジュールです。今年の場合は、11月中旬に衆議院が解散されてから予算編成が事実上止まったかたちになっています。

 単純に考えると、解散から新政権発足までの1ヶ月がそっくり後ろに押し出されることになります。つまり、例年なら1月下旬に予算案が国会に提出されるところ、1ヶ月のびて2月下旬になり、そこから国会審議に2ヶ月かかって、5月の連休明けに成立というスケジュールになるわけです。

 安倍政権発足前後から報道されていた「来年度予算案5月成立」という説には、このような根拠があると思われます。


予算審議にかかる時間


2013年1月3日現在。今月下旬にも日本国憲法下の183回目の国会である常会、いわゆる通常国会が召集される見込みです。通常国会最大のテーマは、予算審議です。

■予算成立は5月?

今年は、総選挙や政権交代によって予算編成が難航していることもあり、平成25年度予算の成立は5月ごろになるとも言われています。3月中に予算を成立させ、4月から執行することが原則なので、もし5月に成立したとすると稀に見る遅さです。

■昨年の予算審議時間

いったい、予算審議にはどのくらいの時間がかかるのでしょうか。昨年、2012年は2ヶ月かかっています国会会議録検索システムを使って昨年の通常国会である、第180回国会の予算委員会の開会日をみたり、予算案の採決が行われた本会議の会議録をみたりして算出しました。

平成24年度予算案は、1月24日(火)に内閣から衆議院に送付され、1月30日(月)に衆参の予算委員会で、審議の前提となる趣旨説明が行われています。

そして、2月9日(木)の衆議院予算委員会で審議が始まりました。趣旨説明から2週間ほど時間があいているのは、平成23年度補正予算の審議を衆参で2月1日(水)から2月8日(水)までの間に6回行っていたからです(衆議院3回、参議院3回)。

衆議院では2月9日(木)から3月8日(木)までに19回予算委員会を開き、3月8日(木)に委員会で可決したのち同日中に本会議でも可決、参議院に予算案を送付しています。本会議での予算委員長の報告によれば、衆議院予算委員会では、政府に対する質疑時間だけでも89時間を費やしたそうです。

参議院では、3月12日(月)から4月5日(木)までに15回予算委員会を開き、4月5日(木)に委員会で否決したのち同日中に本会議でも否決、衆議院に予算案を返付しています。本会議での予算委員長の報告によれば、参議院の予算委員会では100時間近く審議したそうです。

4月5日(木)に予算案が参議院で否決されたことにより、衆参は同日中に両院協議会を開き協議します。協議は物別れに終わり、憲法60条2項(*)により衆議院の議決が国会の議決になりました。つまり、平成24年度予算案が成立したということです。

■今年の見通し

ここまでみた通り、平成24年度予算成立には、2月9日(木)から4月5日(木)までのおよそ2ヶ月間の日数と、34回の衆参予算委員会開会が必要でした。

では、今年の予算審議はどうなるでしょう。

昨年と同じだけの時間をかけるとすると、2ヶ月かかることになります。3月までに処理するには、1月中に予算審議を始めないといけません。

ただ、これは不可能です。なぜなら、冒頭に書いた通り、年末に総選挙と政権交代があった影響で予算編成作業が遅れていて、1月中に平成25年度予算案を国会に提出することが極めて難しいからです。

平成25年度予算成立が5月になるというシナリオで考えると、25年度予算案の審議入りは3月上旬がタイムリミットです。とすると、25年度予算案は2月中に編成作業が完了しなければなりません。

■補正予算もある

さらに、予算案が4月までに成立しない場合、成立するまでの間は暫定予算が組まれます。この暫定予算は政府の裁量が少ないため、安倍内閣が掲げる経済再生を達成するには心もとない内容になってしまいます。

この状況を打破するため、安倍内閣は、10兆円規模の経済対策を盛り込んだ平成24年度補正予算案を編成しています。この補正予算案もできていないのです。

平成24年度補正予算案の編成が終わり、補正予算案の審議、成立が終わってやっと25年度予算案の審議ができることになります。かなりハードなスケジュールです。

このスケジュールをどう乗り切るのか。予算審議だけでなく、予算編成作業の進捗も注目です。

 

*日本国憲法60条2項

予算について、参議院で衆議院と異なつた議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、衆議院の可決した予算を受け取つた後、国会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を国会の議決とする。


新人議員の教育


 昨年の衆議院選挙で誕生した自民党の新人議員は119名にのぼります。この119名の「教育」を巡って、石破幹事長と派閥の間で綱引きが行われています。

■執行部か派閥か

 自民党では、議員の教育や支援は派閥が中心となって行ってきました。新聞によれば、現在も各派閥による新人議員の囲い込みが行われています。しかし、石破幹事長は、自身が昨年9月の自民党総裁選で「脱派閥」を掲げて挑んだこともあり、119名全員を執行部主導で教育する構えです。執行部主導で教育することで、新人議員が派閥に所属しなくてもいいようにしようというねらいです。

■石破派?

 ただ、石破幹事長の「脱派閥」が本物でも、なかなかそのまま受け取れない可能性もあります。

 執行部主導で教育するということは、どういうことでしょうか。自民党執行部のトップは総裁である安倍首相です。とはいえ、安倍首相は内閣総理大臣としての仕事があるため、党の問題は幹事長が中心となって処理することになります。

 つまり、石破幹事長が中心となって教育するということになります。となると、もし新人議員の教育がうまくいった場合、119名を擁する石破派が誕生する可能性があります。

 石破幹事長は総裁選において、第一回投票で一位になりながらも、決選投票で安倍首相に逆転され、総裁の座を逃しています。いわば、安倍首相最大のライバルであり、安倍政権最大の不安要素です。

 その石破幹事長の勢力拡大につながりかねず、派閥の反発を生みかねない新人議員の執行部教育案を、安倍首相はどう受け止めるでしょうか。これにどう対応するかで、安倍首相がどのように与党をコントロールする方針なのかを判断することができそうです。