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参院対策が必要な理由


 自民・公明両党は、先日の選挙で衆議院の三分の二を超える議席を獲得しました。衆議院で三分の二を超える議席を持っているということは、民主党がいまだ第一党の座を死守している参議院で法案を否決されても、衆議院でそれを再可決し成立にこぎつけられるということです。とはいえ、参議院を無視した国会運営ができるわけではありません。例えば、日本銀行の総裁などは内閣が任命するのですが、任命には衆参両院の同意が必要です。この同意に関しては、法案と違い再可決の規定がないので、参議院が同意せず、話し合いにも応じない場合、どうにもならなくなってしまいます。そして、少なくとも来年の7月までは法案についても再可決は難しいです。そう考える理由は、「スケジュール」と「可処分時間」にあります。

 「スケジュール」というのは、来年7月に控えた参議院選挙のことです。選挙前には国会を閉じなければならないので、来年の通常国会は6月末で終わりになります。今年の通常国会は6月21日までであったところを、9月8日まで延長されましたが、来年はそんな大幅な延長はできません。

 ここで、「可処分時間」が問題となります。実は、衆議院の再可決の制度には二つの制限があります。その制限を乗り越えないと再可決の権利を行使することができません。ひとつは、もちろん参議院で法案が否決されること。もうひとつは、衆議院から参議院に法案が送付されてから60日経過することです。これは憲法59条の2項と4項に定められています。

 これがどういうことかというと、ある法案が参議院の本会議で採決せずに放っておかれた場合、衆議院で可決されてから60日過ぎなければ、衆議院で再可決できないということなのです。下手に否決すると、すぐ衆議院で再可決されて法案が成立してしまうので、本気で自公に抵抗するなら、採決を先送りし続けるのが一番合理的な行動になります。

 この制度上の事実と、来年7月に参院選があることを考えると、ひとつの結論が導かれます。通常国会の延長が6月末頃になる以上、再可決できる法案はそう多くはないということです。

 通常国会では、普通、その年の予算審議が行われます。そして、予算案は法案よりも優先して審議することになっているので、ほとんどの法案が予算が衆議院を通過してから実質的な審議に入ることになります。もし、3月中に予算案が衆議院を通過したとしても、7月までに通常国会を閉会しなければならない場合、法案を審議できるのは、4,5,6の3ヶ月になります。3ヶ月は90日です。衆議院・参議院の法案審議の中心となる、委員会の定例日が週2〜3日であることを考えると、参議院が審議拒否を貫いたら、ひとつの法案に60日かかっていれば、成立させられる法案が少なくなることは明白です。また、再可決を多用することで、与党が自分勝手に国会運営をしている印象になり、世論の反発を生む可能性もあります。

 自公が立法を通じて日本のタスクリストを本格的に再構成できるのは、来年の秋、臨時国会意向になるでしょう。しかし、その前の参議院選挙で自公が勝利しなければ、今よりさらに難しくなります。そして、参議院選挙で勝つためには、通常国会中に実績を出さなければなりません。日銀総裁人事などは、自民党の総裁選の最中にも言及していた、安倍総裁が最も重視している政策のひとつになるので、これを思い通り動かせなければ話になりません。そのためには、現時点での参議院の多数派工作が大変重要になるのです。

 自民党・公明党の勝ち過ぎを心配しているみなさん。みなさんの心配は杞憂です。日本国憲法は、こういうときのために、選挙制度の違う第二院を設置したのです。まずは、憲法を信頼しましょう。


参議院対策は必要か


 2012年12月17日現在。昨日16日に衆議院総選挙の投開票が行われました。自民党と公明党が480議席のうち325議席獲得するという結果になりました。対する与党民主党は選挙前の231議席から57議席と大敗北です。野田首相は、すでに民主党代表を辞する意向を示しています。

 さて、今年中にも安倍新内閣が誕生するとみられています。年明けからは、予算審議が始まります。まずは、予算でどれだけ独自色を出せるかが見所です。予算案は法案より先に審議することになっているため、安倍自民を中心とする政権が新たに日本のタスクリストに加えるタスク=法案を作り上げるのは、来年の4月以降になるでしょう。

 ただ、参議院では民主党がいまだ第一党です。第一党とは、参議院に議席を持つ会派の中で一番多い議席を持っているということです。自民党83議席に対して民主党87議席と、なんとか自民党を上回っています。自民党と公明党の議席をあわせても参議院の過半数に達しないため、このままでは、自民党と公明党は参議院をコントロールできません。参議院のコントロールなしに、法案を成立させることはハードルが高いため、参議院においてなんらかの対策が必要になります。

 「あれ、自公で衆議院の三分の二を占める議席を持っているんだから、参議院で法案が可決しなくても衆議院で再可決すればいいんじゃないの?参議院の過半数必要?」と思われるかもしれません。私は、「スケジュール」と「可処分時間」の観点から、参議院対策は必要不可欠だと思っています。理由はまた明日。


派閥政治と「三木おろし」


 以前の記事で書いた、福田派・大平派・田中派による三木武夫内閣倒閣運動である「三木おろし」について感じたことを書きます。

 そもそも、少数派閥のリーダーである三木が自民党総裁、そして総理大臣になれたのはなぜでしょうか。今年の9月にやったような総裁選をやって決まったのかというと、実はそうではありません。話し合いでもありません。指名で決まりました。いわゆる「椎名裁定」です。

 椎名とは、当時自民党の副総裁だった椎名悦三郎です。首相は田中角栄でした。就任早々の1972年の12月の衆議院総選挙で敗北し、その翌々年、1974年7月の参議院議員選挙で敗北し与野党を伯仲させた田中は、週刊誌発のスキャンダルによって追い込まれていました。総理総裁の座を争った三木や福田赳夫も閣僚を辞任し、倒閣に動きます。このとき、ポスト田中の有力候補だったのは福田と、閣内に残り大蔵大臣を務めていた大平正芳でした。

 総裁選をやれば、自派に加えて田中派の票を獲得できると大平が有利だとみられていました。しかし、田中のスキャンダルの原因が、派閥の伸長により総裁選挙での派閥対立が激化し、票を集めるために多額のお金が動いているのではないかというものだったため、選挙をするのも難しい情勢なってしまいます。大平も福田も「次は絶対に自分」と思っていたため、壮絶な争いが起こることが容易に想像できたからです。

 選挙でないのならば、話し合いという手法が考えられます。ただ、話し合いで大きな影響力をもつとみられる岸信介や佐藤栄作などの長老は親福田であったため、話し合いになれば福田有利だと見られていました。

 選挙か話し合いか、どちらを選ぶかで次の総理総裁が決まってしまうような状況だったため、どちらかを選んでも、不利になる派が反発する苦しい状況です。最悪、反発した派が党を割る可能性さえありえるとまで言われました。

 田中に後継者選出を一任されたという椎名が、大平・福田の対立をうまくかわし、党分裂の危機を防ぐため、白羽の矢を立てたのが三木でした。三木は自民党のなかでも左派であり、常に野党と連携するのではないかと言われていたため、三木の離党を防ぐという狙いもあったと言われています。こういう経緯で、少数派閥の総理総裁が誕生したのです。ある意味、三木内閣は派閥政治の産物だと言えると思います。選挙をやっていたら、三木はまず総裁になれなかったと思うからです。

 少数派閥の総理総裁は、党内の支持基盤が弱いため、政権運営、ことに国会運営がとても難しくなる危うさをはらんでいます。国会で予算や法律を作るには、衆議院と参議院の両議院の過半数を持っていなければなりません。そして、政権与党であるということは少なくとも、衆議院で与党勢力が過半数を持っているということですので、衆議院では予算や法律を可決できる能力があることになります。なぜなら、与党は内閣に協力するだろうという、前提があるからです。そして少数派閥の政権の場合は、少ない人数で党内の多数の派閥をコントロールしなければ、与党に協力させられない可能性がでてきます。野党どころか、与党のコントロールからして、そもそも難しい立場に立たされるのです。この場合、参議院の議席の多少はもはや問題になりません。衆議院だろうが参議院だろうが、少数派閥の政権は、建前ぬきに党内多数派の協力を得なければ政権を維持できないのです。

 与党のコントロールができなくなった状態が、「三木おろし」知られる、一連の三木内閣倒閣運動です。もともと福田と大平の総理総裁への野心が大きかったために両者は激しく対立していたわけです。総理になるためにお互いが協力して三木を退陣させようとするのは当然の流れだと言えます。

 「三木おろし」により政治は停滞し、その年の臨時国会召集と赤字国債発行を可能とする財政特例法案の成立が危ぶまれる事態に陥ります。しかし、三木は恐ろしい粘りと執念をもってこれを乗り切りました。任期満了前の解散さえ打てなかったものの、自らが総理として1976年12月に衆議院総選挙を戦うことがでたのです。その結果、自民党は敗北し、三木は退陣、福田と大平は手を結び、福田が次の総理大臣になりました。

 三木内閣の興亡をみると、中選挙区制が派閥を育て、派閥の影響力が拡大すると党内抗争を抑えるために、少数派閥の政権ができ、少数であるがゆえに政権運営が困難になり、政治が停滞するという、一連の流れを感じます。政治停滞のひとつのパターンとして、「三木おろし」は研究に値すると考えています。


中選挙区制と小選挙区制


2012年12月11日現在。

「決められない政治」に代表されるような、今日の政治停滞の原因は現行の小選挙区比例代表並立制にあるとして、中選挙区制を復活させようとする意見があります。ここで、小選挙区と中選挙区の性質をまとめてみます。

中選挙区制では1つ選挙区で3~5人が当選するようになっています。1つの選挙区から複数の候補者が当選するということは、同じ政党の候補者同士が争う可能性を生みます。政党が多くの議席を取ろうとするなら、1つの選挙区になるべく多くの候補者を出馬させるからです。

他党だけでなく同じ政党の候補者とも戦わなくてはならなくなることで、自分が確実に当選するためには所属政党からの支援だけでなく、独自に選挙資金を集めたりして選挙戦を戦わなくてはならなくなります。そのため、政治家個人に対する献金を受け取る政治団体が必要になります。当然、お金もかなりかかります。

また、個人だけでは限界があるため、政党内の政治グループからも支援を受ける必要があります。政治グループは、グループのリーダーを党首、そして首相にするため、自らのグループの議員をより多く必要とします。確実に当選したい候補者と、自らの勢力を増やしたい政治グループの思惑が合致しているのです。この政治グループが、いわゆる派閥です。派閥同士の対立が激化し、1つの選挙区で同じ政党なのにも関わらず、違う派閥に属しているがために、ものすごいお金をかけて戦うようにもなりました。派閥の影響力拡大と、お金がかかることが、中選挙区の特徴とされています。

中選挙区の特徴には他に、投票した候補者が落選してしまう死に票が少なく、多様な意見の反映が期待されるので、急激な議席の変化が起こりにくいことが、よく挙げられます。

小選挙区制は、1つの選挙区で1人が当選するため、政党ごとに1人だけ候補者を立てることになります。選挙で戦うのはすべて他党なので、所属党からの支援と自分の政治団体だけで戦えば足りることになります。党が全面的にバックアップするので、あえて派閥に頼る必要がなくなります。小選挙区制に変えたときに、企業献金を個人でなく党でのみ受け取るようにしたり、政党交付金と呼ばれる国費による政党助成制度ができたりしたことで、派閥から政党(幹事長)に候補者支援の主体が移っていったことも、派閥や派閥的な政治グループの影響力の低下を促しました。実際、与党民主党には自民党の派閥ほど統制がとれた政治グループが存在していないと言われています。派閥の影響力の低下と、個人で集めるお金が少なくなることが、小選挙区の特徴とされています。

小選挙区の特徴には他に、死に票が多くなることで、多様な意見が収斂されるため、二大政党化を促進し、急激な議席の変化を促すことが、よく挙げられます。


ポリティカルタスクリストを活用できるか


 2012年12月10日現在。衆議院総選挙の投開票まで1週間を切りました。選挙戦も盛り上がってきました。早く国会が始まってほしいなぁと思いながら、毎朝ドーナツを食べています。

 まだ投票していないので、政治とタスクリストに書いたポリティカルタスクリストを自分で作ってみようと思っています。日々の仕事でプロジェクトを遂行する為の個々の項目表や、自分の習慣を変えたり、維持したりしながら目標達成に進んでいくための行動遂行予定表をタスクリストといいます。ポリティカルタスクリストとは、政党や政治家の政権公約、マニフェスト、アジェンダなどと呼ばれているの政策課題集を「国家のタスクリスト」と捉えたものです。

 私は、次のようにポリティカルタスクリストの考え方を投票にいかそうと思っています。

 個々の政策で考えると、あまりに抽象的で漠然とした政策や、逆にあまりに具体的で国家全体からの意義が見えづらい政策が入り交じり、どの党に・誰に投票すればいいのかわからなくなります。そこで、政党や政治家の主張を、「国家のタスクリストに加えたい事柄」「タスクリストから除きたい事柄」「タスクリストの優先順位を変えたい事柄」というように大雑把に分類します。そして、自分の現在の立場や今後どうなりたいかなどを考え、自分のためのポリティカルタスクリストを挙げていきます。

 「財政再建」と「福祉の充実」といったような一見矛盾するようなものがあっても気にしないでいいと思います。時間を考慮に入れれば、財政再建を果たしてから景気を回復させ、経済成長によってできた余力を福祉にまわしていくということもあり得るからです。ただ、どちらを先にやってほしいかという順番は気にした方がいいかもしれません。例えば、風邪をひいた人に、風邪薬を渡したあと乾布摩擦用のタオルを渡すのか、タオルを渡してから風邪薬を渡すのかでは、長期的に同じ結果になっても短期的な状態にはかなり差があると思います。自分はあんまり急いでないし、風邪も軽いので先に鍛えておこうと思うか、逆にものすごくつらいので今すぐ風邪薬を飲んで寝たいのかは人によって違います。

 ほとんどの政党や候補者の主張が同じに見えるとか、違いが見えないとかテレビで言っている人がいます。もしかしたら、総合的には同じかもしれません。結局、国を豊かにするとか、平和にするとかを目指しているのですから当然といえば当然です。総合的には同じですが、おそらく順番に違いがあるのです。順番が違う程度のことをあんまり気にしすぎるのもよくないかもしれません。そういう風に言っている人もいます。ただ、時間は有限なので、何から先に取り組むかで大激論になるのも無理はないと思います。私は、順番は大事だと思っています。長期的にはみんな死んでるからです。

 ここで自分のポリティカルタスクリストを書いていこうかと思いましたが、やめました。セミナーのワークショップなどで、自分のタスクリストを発表するのも恥ずかしいですが、ポリティカルタスクリストになると、恥ずかしい以上の抵抗を感じます。自分のタスクリストに従うのは自分だけですが、ポリティカルタスクリストは自分以外の人を巻き込むからです。他人のタスクリストに自分がまずしないようなことが書かれていてもあまり気になりません。だいたい自分とは関係ないからです。しかし、それがポリティカルタスクリストになると、その遂行のために国が動きます。国が動くということは、全国の役人が動き、税金が投じられるわけです。税金を払うのは言うまでもなく、私たち国民全員です。まだ有権者でない高校生だって消費税は払います。この点から、ポリティカルタスクリストを公表するのにはものすごい勇気がいります。

 そういう私からすると、政治家や政治家志望のみなさんは、まさにご自身のポリティカルタスクリストを公開しているわけで、すごいなぁと思います。できれば、詳細なポリティカルタスクリストを作って、会期ごとに見直し、できたかできなかったかチェックして、次の会期までにタスクリストを調整するような人や政党が出てくると面白いし、選ぶときにわかりやすいと思うんですけどね。そうなると、国会の手続きを調べている私みたいな人間にも世の中の役に立つチャンスがあるかもしれません。「リスト上位の項目に関係する○○法案が会期末なのに委員会審査も始まってないぞ!やる気あるのか!」みたいなツッコミをバシバシ入れていくのも面白いかも。


「三木おろし」と現代の政局〜『小説吉田学校』を読みながら


 戦後の日本政治を概観するため、戸川猪佐武『小説吉田学校』を読んでいます。全8冊と、司馬遼太郎『坂の上の雲』と同じボリュームで、昼休みや通勤時間をつかってこまめに読まないとなかなか終わりません。今は『第五部 保守新流』を読んでいます。

 第五部は三木武夫と福田赳夫・大平正芳との戦いが中心です。第四部の最後で、田中角栄の次の総裁として、「晴天の霹靂」のごとく指名された三木。三木は、ポスト田中の対抗馬だった福田・大平に比べ自らの派閥が弱いため、福田派や大平派、そして田中派がそっぽをむいてしまうとどんな法案も通せない状況にありました。

 昭和51年(1976年)、政界を揺るがす大事件が公になります。社会党をはじめとする野党は、その事件以外の審議をほとんど拒否しました。予算こそ成立したものの、赤字国債発行を可能とする「財政特例法案」は参議院で継続審議となり、通常国会での成立はかないませんでした。早期に臨時国会を召集して財政特例法案などの成立を目指す三木。この年の暮れに迫った衆議院議員の任期切れを前に、三木を退陣させ、党体制の一新を狙う福田派・大平派・田中派。主流派と反主流派との戦いは熾烈さを増すのでした。いわゆる「第二次三木おろし」です。

 この戦いのなかで、三木と福田と大平は何度となく話し合います。そのなかで、福田や大平は「三木首相のもとでは法案成立に協力できない」と退陣を迫ります。なるほど、北岡伸一『自民党 政権党の38年』(中公文庫)の「付録7 自民党派閥の系譜と消長」によると、このとき衆議院では、政権主流派の三木派・中曽根派はあわせて74人で、反主流派である福田派・大平派・田中派の149人に遠く及ばず、この三派の協力なしには党内をまとめられません。

 しかし、三木も負けずに言い返します。「もし私が退陣して新たな政権ができても、そのときから三木派は反主流派だ。与野党伯仲の参議院で法案を成立させられるだろうか」と。同じ本の「付録3 参議院議席」をみると、参議院252議席のうち、自民党は127議席しか持っていません。参議院の三木派10名が造反したら、なにもできないぞと反撃したのです。

 この時点で、現在「ねじれ国会」として知られている衆議院と参議院の多数派が逆転することによる政権運営への深刻な影響が、すでに認識されていたことがわかります。奇しくも、臨時国会を召集して取り組む課題のひとつにあげられているのは、赤字国債発行に必要な法案の成立です。どこかで見たことがある光景です。

 また、三木・福田・大平の三者会談は、党を割るような決定的な対立を避けつつも、早期退陣の言質をとろうとする福田・大平と、自らの進退や解散の時期を明示することを避けながら臨時国会を召集して政権運営を続けようとする三木との攻防になります。やはりどこかで見たことがある光景です。

 このような時代を超えた類似性を見いだすことができるので、歴史を知ることは非常に面白いです。こういう発見をするために、この『小説吉田学校』を読んでいるというわけです。あくまで「小説」なので登場人物の心理描写などを鵜呑みにする訳にはいかないとは思いますが、起こった出来事の経緯などは大いに参考にしたいと思っています。


完璧なものをイマイチにする


 志のある官僚と、志のない官僚がいるとします。どちらが官僚にふさわしいでしょうか。

 志のある人が官僚をやった方が、世の中にある課題を発見する能力があっていいように思います。例えば、家が貧しく苦学したために「自分と同じような境遇の子供たちが思いっきり勉強をできるようにしたい」という志のある人がいるとします。そのような志を持つ人は、常に教育のことを考えて世の中をみると思います。この世のあらゆる情報を、教育というフィルターを通して受け取るため、ほとんどの人が見逃すようなちょっとした情報にひっかかりを持ち、それが課題発見のもとになると思うのです。

 官僚なら、発見した課題に対して大きく二つのアプローチをとることができます。ひとつは、既存の法制度の枠内で行政として課題解決に取り組むこと。もうひとつが、新たに法律を作って行政として課題解決に取り組むことです。埋もれた課題を発掘し、対処できる。すばらしいことです。

 しかし、「官僚が課題を発見してその対策を立てる」となると、どうしても、官僚が政治家に政策を提案する「官僚主導」になります。これでは、政治家は法案を可決して法律にするだけの機械になってしまいます。

 そうならないようにするには、政治家が官僚の提案を修正しなければなりません。仮に志しある官僚が作った完璧な原案よりちょっぴりイマイチになってしまっても、修正しなければならないと思います。なぜなら、完璧な原案はその志に沿う形でのみ完璧なのであって、例えば別の志からみたらとんでもない欠陥品かもしれないからです。

 政治家は、完璧なものを作る職人ではなく、なんとなくみんなが納得するようなしないようなものを作り上げて、物事を徐々に良くしたり悪くしたりする人たちだと、私は思っています。

 良くなるのも少しずつなかわりに、悪くなるのも少しずつです。少しずつ悪くなる方が、まだ挽回できそうじゃないですか。


会議録でみる国会


 第181回国会、いわゆる臨時国会が衆議院解散によって閉会となって1週間以上たちました。この国会は会期が短かったため、かえって、今国会で成立した成立した法律がどのようなプロセスをへて成立に至ったのかを調べやすいのではないかと思います。それを調べるもとになるのが、国会の会議録です。衆議院の場合はここにあります。

 この会議録は、リアルタイムに更新されるものではありません。実際に委員会が開かれてから、会議録が掲載されるまでに一定のタイムラグがあります。そろそろ、今年度の臨時国会の会議録も出そろってきました。実際に委員会で行われた審査をみて、どのようなシナリオで国会審議という儀式が執り行われているのをみると面白いのではないでしょうか。

 例えば、先の国会で「解散の条件」として最も注目された、予算執行に必要な特例公債法案と衆議院の一票の格差是正法案がどのように衆議院と参議院で審議され、成立したのか、気になりませんか?会議録を見てみると、外せいないプロセスを踏みつつも、かなりのスピードで審議が進んでいることや、委員会で法案の審査に入る前に行う本会議での趣旨説明をするかどうかでいちいち賛成反対の意思表明をしていることがわかります。国会において一定の枠内の手続きを踏むことがつねに求められており、与党といえどもそれを尊重しないことには法案審議が進まない現実が見えてきます。

 ただ、委員会で踏むべきプロセスにはどのようなものがあって、それぞれのプロセスにどの程度の時間をかけるべきなのか、という慣例を知らないとなかなか会議録で示された政党間の攻防をうまく読み取れないと思います。思うに、国会審議とはすごろくのようなものです。サイコロを振って進んでいき、大きい目がでたからといって出た目の分だけ進めるとはかぎりません。一回休みや、二回休み(野党の審議拒否)があるかもしれません。時間内にすごろくが終わらず振り出しに戻る(廃案)もあるかもしれません。また、最初のステージを早く上がったところで、次のステージでなかなか駒を進めることができないかもしれません(参議院での審議停滞)。このすごろくのルールを知っているだけでも、政治記事で示される「政治日程」のスケジュール感が養われると思います。スケジュール感がなぜ重要なのかというと、時間を伸ばしたり縮めたりすることがなかなかできないため、時間はすべての政治家にとって平等な制約になるからです。

 私もこの臨時国会で注意してみるまでは、このスケジュール感を実感できませんでした。しかし、会議録や衆議院公報などをみることで、ひとつの法案を成立させるのにどの程度の時間が必要になるのか、また、首相や所管大臣が外遊中で国会に出席できないようなスケジュールが組まれているときに、どれだけ国会審議が停滞し、法案成立が危うくなるか、ということが腑に落ちるようになってきた気がします。これからも、国会の公報や会議録に注目していこうと思います。


政治とタスクリスト


 先日、11月17日にNo Second Life Seminar 11に参加しました。このセミナーは、ブロガーで作家の立花岳志さんが主催しているものです。今回のテーマは「習慣力 セルフマネジメントで2013年の自分を支配せよ!」という野心的なもので、心理学ジャーナリストの佐々木正悟さんの特別講演があったり、楽しい時間を過ごせました。

 このセミナーに参加して、感銘を受けたことがたくさんありましたが、なかでも大きなもが2つあります。ひとつは、佐々木さんの「早起きするためにすることのチェックリストを作って、愚直に実行している。今ではチェックリストをなぞるだけで、眠いときにも目が覚めるようになった」という体験談です。そしてもうひとつは、立花さんの「人間は習慣の塊であり、今の自分は今の習慣でできているため、新しい習慣を始めるには今の習慣を捨てなければならない。そのためには、今の自分を把握するための記録と、新しい習慣形成のためのタスクリストを作成し、実行し、反省し、見直すことが有効だ」という考え方です。

 佐々木さんの体験談からは、國學院大學神道文化学部で習った、「お祭りで同じ儀式を同じように繰り返し行うことで、故事を再現する」ということを想起しました。そこから、国会で制度や慣習で決められた事柄を狂いなく行うことで、政治に正統性を与えようとしているのではないか、という考えが浮かびました。

 その考えと、立花さんの「人間は習慣の塊である」という考え方を組み合わせることで、最近次のようなアイデアが浮かんだのです。

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 人間が習慣の塊である。習慣というものが、「AのときはBする」というような行動様式だとするならば、国の制度は日本という「国の習慣」なのではなないだろうか。

 それならば、人間がタスクリストの作成・実行・反省・修正を通じて習慣をコントロールすることで自身をコントロールしようとするのと同じように、国のタスクリストを左右することで日本をコントロールすることができるのではないか。

 国のタスクリストの作成・実行・反省・修正をすることが、政治の役割なのではないか。

 有権者が支持する自らの主張を国のタスクリストに載せるために、制度の枠内でありとあらゆる手を使うのが政治家なのではないか。

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 このアイデアに従えば、「マニフェストだ」「政権公約だ」「いや、アジェンダだ」と、いろいろな政党がいろいろな名称で呼んでいるものは、すべて政党が作成した「日本のタスクリスト」です。タスクリストをみれば、その政党の目標をどのように実行したいのかがわかります。同じようなことを言っているようにみえても、タスクリストの項目や順番が違うかもしれません。タスクリストを忠実に実行すると、その政党の目標を達成できないようになっているものがあるかもしれません。タスクリストの項目が大きすぎて、実行可能なところまで分解できていないかもしれません。

 各党のタスクリストを、タスクリストの中身に賛成か反対か、その順番に賛成か反対か、どうしてもリストに入れてほしいものどれか、どうしてもリストに入れてほしくないものはどれか、というような観点で見ると、いろんな感想が浮かんでくると思います。

 そして、もし、あなたが自分の人生をコントロールすべく、タスクリストを作って実行しているとします。それならば、あなたの目標の成功をサポートするもの、また、あなたの目標の失敗をカバーしてくれるものが各党のタスクリストにあるかどうか見極めることで、より主体的に支持政党を決めることまで可能になるのではないか、とまで思うのです。

 自分のタスクリストを、自分の力だけで実行していくのは厳しいです。うまく国の支援を得て、あるいは国の邪魔を排除することで、目標を達成することも「あり」だと思います。そのためには、自分のタスクリストだけでなく、国のタスクリストも定期的に考えるといいかもしれません。自分のポリティカルタスクリスト(Political Task List)を作りましょう!

 来月の衆議院総選挙にむけて、そういう基準で投票するのもいいのではないかと、ふと思いました。


なぜ11月16日まで解散しなかったのか?(完):解散した理由


 2012年11月26日現在。先週、野田首相が11月16日まで衆議院を解散しなかった理由を、政策遂行の責任を果たすため、周囲の人間が解散に反対だったため、世論を気にしたため、という3点から考えました。考えた結果、どれも「近いうちに解散する」と約束した8月と状況が変わらないか、むしろ悪くなっていることを示しました。

 私は、11月までに解散しない合理的な理由はなかったと思っています。そして、このまま解散せずに粘っても良かったと思うのです。また、いつ解散しても良かったとも。結局のところ、どうして11月16日に解散したのでしょうか。

■首相が望まなければ解散はない

 制度的には、首相に解散を強制する方法はありません。解散するということは、どういう理由であれ、首相が解散を望んだということにほかなりません。解散できるかどうかは、首相が解散をどれだけ望むかという意思の力にかかってきます。

 したがって、11月16日まで解散しなかったのは、首相が解散したいと思わなかったからです。そして、解散したいと思ったから16日に解散したのです。

■正直な自分という自画像と、戦術の乖離

 では、なぜ首相は解散しようと思ったのでしょうか。首相が党首討論で話した印象的なエピソードに、「通知表に『野田君は正直の上に馬鹿がつく』と書かれていて、それを父親に褒められた」というものがありました。このエピソードへの思い入れが本物なら、「正直な自分」という自画像は首相のなかで大きな位置を占めていると思われます。

 8月に「近いうちに解散する」と約束してからずっと、自民党と公明党は約束の履行である解散を要求してきました。自公は「近いうちは8月だ」「9月だ」「年内だ」と責めつづけました。

 しかし、首相は応じる姿勢をみせず、自民党は重要法案の審議に全面協力する太陽路線をとるまでに追い込まれました。国会で野党が協力するなら解散する必要はありません。なぜなら解散とは本来、首相と国会が対立したときに使う武器だからです。

 期限の曖昧な約束をして野党から譲歩を引き出す戦術は当たり、「民主党政権そのものは来年の8月まで安泰かもしれない」というところまできました。この状況は、ある意味で、約束を反故にし続けることになります。約束を守らない人というのは、「正直な人」ではありません。野田首相の自画像と違うはずです。

 とはいえ、その戦術は野田首相が約束を履行することを許しません。約束を履行した瞬間、衆議院は解散されるからです。

■野田内閣が死んでも代わりはいる

 民主党政権存続における最大のリスクは、信任を得なければならない衆議院で多数の議席を失うことです。衆議院が解散され、総選挙を経ることで民主党の衆議院議員が落選し、議席が減って政権を失うことこそが、避けなければならないことなのです。

 しかし、それは民主党政権を死守する、民主党の仲間をすこしでも長く生き残らせる、という見方をしたときに成立する考えです。そして、その考えは、野田内閣を生き残らせることを重視しません。

 約束をいつまでも守らない首相に嫌気がさした野党と国民が一丸となって「首相は嘘つきだ!」と燃え上がったとき、民主党としては嘘つきをお役御免にして、新しい看板をかけることができるからです。

 そう、野田内閣など、存続してもしなくてもいいのです。民主党政権を死守するための手段にすぎません。民主党の輿石幹事長が「解散は首相の専権事項」と繰り返し言っていたのは、「約束を守らないのはあくまで野田首相であって、民主党が嘘つきというわけではない。なぜなら、解散権は首相にしかないからだ」という含みもあったのかもしれません。

■追い込まれていた首相

 野田首相は民主党政権以上に追い込まれていました。民主党政権としては野田首相は駒のひとつですが、野田首相にとって野田内閣は、すべてです。

 「正直な自分」という自画像と異なる「嘘つき」を演じた挙句、民主党そのものに「約束を守れなかった首相」として自らの政治生命をも使い捨てられるかもしれない恐怖があったのではないでしょうか。

 大学を出てすぐに松下政経塾に一期生として入塾し、政治に関する仕事以外ほとんど経験していない野田首相にとって、政治生命を失うことはなによりも辛いことだと思います。

 野田首相は、自画像との乖離と、自身の政治生命に対する危機とに悩み、なりふり構わず解散したのだと思います。だからこそ、民主党政権の延命という観点からみると、今回の解散は不合理に見えるのです。野田首相の政治生命を守ることと、民主党政権の存続もまた、必ずしも両立するものではなかったようです。

■首相が死ぬ気で解散を決意したら、誰にも止められない

 解散権は首相にあります。首相が本気のときは、誰にも解散を止められません。たしかに、解散には閣議決定が必要です。閣議とは、首相と首相が任命した大臣で行う会議です。閣議は全会一致が原則で、一人でも反対の大臣がいれば決定できません。

 しかし、首相は反対する大臣を辞めさせ、自らその大臣を兼ねることができるため、首相は自らの意向を押し通すことができます。制度的には、解散をやめさせる手段もないのです。

 非制度的になら、手段はあります。どんな手を使ってでも、首相を翻意させるか、首相に内閣総理大臣を辞職させることです。総理大臣じゃなくなれば、当然解散できません。

 しかし、約束を果たさないまま総理の職を辞することを首相が嫌がっているのだとしたら、首相の説得は不可能です。それに、野田首相にとっては、総理大臣でなくなっても、衆議院議員として誰に恥じることなく生きることができればそれでいいのかもしれません。

 政治的にも、感情的にも、総理大臣の椅子にこだわらなければ、解散が首相自身にとって最もプラスになる選択肢である、というところまで11月時点で追い込まれていたため、解散を決意した。これが、現時点での私の見解です。

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