■目にしている情報は同じなのに、読み取れる情報が違う
将棋や囲碁ができる人は、盤面をみてどういう状態であるか判別することができます。私が同じ盤面もみても何がなんだかわかりません。目にしている情報は同じなのに、 得られる情報の量が違っています。
将棋や囲碁ができる人は私に比べて盤面から読み取れる情報量が多いために起こります。なんというか、みえている盤面の「解像度」が違うのだと思います。
私が国会の仕組みを中心に見ているのは、政治のニュースに対する解像度を上げるためです。解像度を上げることで、目に見える政治の現実が変わってくると思っています。
■ありえない選択肢を切ることで、読み取れる情報を増やす
ただ、いま言っている「解像度を上げる」ことは、文字通りすべての情報を余さず取り込んでいるということだけではありません。逆に、ありえない選択肢をバッサリ切っていくことも行っています。選択肢が無限にある場合は、結果の予想がつかないために今起こっていることの評価ができないからです。
ありえない選択肢を削るときの基準になるのが、時間やルールといった制約です。国会の場合は、時間の制約が非常に強いため、時間の問題から考えていくことで選択肢を絞ることができます。
選択肢を絞ることで、情報から読み取れる情報の精度を上げることができます。しかし、それは消した選択肢について考慮にしないことにつながるので、「思い込み」につながる危険性があります。