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多党化する国会は安倍内閣の障害になるか


■両院の過半数で政権は安泰か

 2013年10月27日現在。昨年の衆院選と今夏の参院選の勝利により、自公は両院で過半数の議席を得て、衆参で与野党の議席数が逆転した「ねじれ国会」から脱却しました。これで自公政権は安泰だと言われることもあります。

 ただし、その安泰は予算案の成立、法案の成立、条約の承認、内閣不信任決議案と問責決議案の否決という点に限られます。これに加え、正常な国会運営を目指すとなると、安泰と言える状況かどうかは難しいです。

■自公の復権と民主党の影響力低下

 自公の勝利は、民主党の存在感の低下とともにもたらされました。民主党は昨年まで政権を担当しており、両院で第一党の座を保持していましたが、いまでは衆議院で維新の会に迫られ、参議院でも退潮しています。

 民主党の影響力低下により、民主党が野党代表になることは難しくなりました。そのため、今までなら自民党・民主党・公明党の3党で話しあえば国会が動いていましたが、今後はそうはいかなくなってきます。

 議案提出権を持つ会派を国会運営のプレーヤーだとします。現在、衆議院で議案提出権がある20議席以上を保有している会派は自民党・民主党・維新の会・公明党。参議院で議案提出権がある10議席以上保有している会派は自民党・民主党・公明党・みんなの党・共産党です。小泉政権後半から菅内閣まで(2004年〜2010年*1)と比べて、国会運営のプレーヤーは、3党から6党に倍増しました。

 例えば、与党が訴えている国会運営改革の進み方をみると、自・民・公の3党だけでは動かない現実が見えてきます。当初、自民公で国会運営改革について方向性をまとめてから全党で話し合う流れになるとされていましたが、3党に加えかねてから国会運営改革を唱えていた維新の会が加わりました。さらに、先週には、最初から全党が案を持ち寄って話し合うことになりました。民主党の影響力低下により、維新の会やみんなの党、共産党が台頭していることが影響していると思われます。

■共産党がどういうルールで国会運営に加わるか

 特に共産党があらたな国会運営のプレーヤーとして登場したのは大きいです。これは、自公にとっては新たな脅威です。自公は連立与党、民主党・維新の会・みんなの党には政権運営をした議員がいるので、阿吽の呼吸で話がつくこともあるかもしれません。ですが、これからは共産党の登場により話がつかなくなるのではないでしょうか。

 また、共産党が議運の理事ポストを持っているのはもちろん参議院だけですが、衆議院で共産党をないがしろにして、参議院で報復を受けることがないと言えません。そのため、自公は衆議院でも共産党に対して一定の配慮をしなければならなくなるのではないかと思います。

■もう「ねじれ」には甘えられない

 もちろんこの話には、「政府・与党が議院運営委員会理事会の全員一致により議事運営をすすめるという原則を尊重する」という前提があります。その前提がなければ、なんでもありです。なにしろ数を持っているので、すべて多数決で押し通していけばいいわけです。つまり、強行採決の連発です。

 ただ、ねじれ状態が解消されたので、そうはいかないでしょう。ねじれ国会下ならば、強行採決や法案の廃案、多少の混乱も大目にみられるところもありました。そうしなければ何も決まらないからです。そのため、場合によっては野党の態度がマスコミに非難されることもありました。

 しかし、いまやねじれは解消されました。国会は正常(与野党が議事運営で一致している)であって当たり前であり、国会運営の混乱はすなわち、与党の調整不足であるとの評価を受けることになります。参議院選挙でリベンジを果たしたとは言え、安倍内閣は世論の恐ろしさを身をもって知っているはずです。

 おそらく、ねじれが解消された今国会でも提出法案を絞っているのは、国会運営の失敗が政権にダメージを与えることを懸念しているからです。そして、無用な批判を生まないように、国会運営改革を行って、国会運営でミスをする機会を減らそうとしているのだと思います。

■今のところ与党ペース

 安倍内閣は、衆院選と参院選で増えた多くの自民党議員を統率し、かつ、公明党との関係を良好に保ち、かつ、民主党、維新の会、みんなの党、共産党に相応の配慮をした国会対策をしなければなりません。

 とはいえ、今国会の出足は好調です。国家安全保障に関する特別委員会設置に少々手こずったのを除けば、今のところ与党ペースです。安倍内閣は、この調子で多党化した国会を乗り切り、強行採決を減らすことができるでしょうか。

 

*1 参考資料は『平成18年 衆議院の動き 第14号 国会関係資料 2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)』と『平成24年 衆議院の動き 第20号 国会関係資料 2 国会議員会派別議員数の推移』です。また、菅内閣の途中からみんなの党が参議院で10議席以上持っていましたが、ねじれ国会だったためか、民主党や自民党との議席数に差がありすぎたためか(両党とも80議席オーバー)、あまり国会運営に影響力を発揮できなかったようです。現に、消費税増税を決めた3党合意は、民主党・自民党・公明党で合意されたものです。


臨時国会召集要求と野党の見せ場


■野党5党、臨時国会召集要求書を提出

 2013年9月26日現在。昨日、民主・みんな・共産・生活・社民の野党5党が共同で臨時国会召集要求書を参議院議長に提出しました。

 この要求は憲法53条に基づくものです。今回は、冒頭に挙げた野党5党(92名)で4分の1以上を達成できる参議院から要求するということになります。

第五十三条
 内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

■召集要求の目的

 今回の召集要求の趣旨は、10月15日に予定されている臨時国会召集の前倒しを要求するというものです。ただ、憲法53条の文面からすると、召集要求で実現できるのは内閣に国会召集を決定させられることだけのようです。この条項を使って内閣に臨時国会召集の前倒しを強制できるほどの力があるかどうかはよくわかりません。

■国会が開かれなければ、野党に見せ場はない

 しかし、野党として何かしなくてはならないことも事実です。政府の役職に就ける与党と異なり、野党というのは国会が開会しなければ単に国会議員という身分があるだけの人たちになってしまいます。

 維新の会は「(閣僚の外交日程を消化させまいとする)嫌がらせにはくみしない」として、この召集要求から距離をおいていますが、それは少し厳しい見方です。国会が開かれないことには、国会が存在感を示すのは難しいですからね。

 臨時国会召集に向けて、徐々に盛り上がってきた感じがします。とても楽しみです。


人の味


■孟夏の太陽

 お世話になっている方のお宅に遊びに行った時、本を紹介してもらいました。宮城谷昌光『孟夏の太陽』です。

 この本は5編の短編で構成されています。すべての話で、春秋時代の晋の有力者である趙氏の当主が主人公になっています。

 これがなかなか面白く、一気に読んでしまいました。趙氏は晋の大臣の家系なので、主人公がみんな政治家だということもあるのかもしれません。もちろん、「議会」などない時代なので、議事手続きがどうというような話はないのですが、威圧したりされたり、とにかく尽くしたり、ひたすら耐えたりと、人と人との関係描かれているところにグッときました。

■味

 ちょっと前に和辻哲郎『孔子』を呼んだ時や、中島敦『弟子』『李陵』を呼んだ時にも感じたのですが、中国を題材にしたお話には独特の味わいがあります。

 どういう味がするかというと、なんでしょうか、お肉を使った料理とお酒の味です。中華料理という感じではないですね。どちらかというと、お肉はケバブのような感じです。お酒の方は、紹興酒かもしれません。

 近代から現代の日本政治だともうちょっと違う味がするんですよね。なんというか、先ほど説明したものより、もっと水分があるような感じがします。ただ、不思議と味の傾向は似ています。

 それにしても、なんの味でしょうか。政治は人と人との関係ですから、もしかしたら、人の味かもしれません。


天の声にも変な声がたまにはある


■小説吉田学校第六部:田中軍団

 昨年から断続的に読み続けている戸川猪佐武『小説吉田学校』ですが、やっと大平正芳内閣誕生まできました。

■天の声にも変な声がたまにはある

 大平内閣誕生時に生まれた名言に、「天の声にも変な声がたまにはある」というものがあります。これは、昨年国政から引退した福田康夫元首相のお父さん、福田赳夫元首相の言葉です。

 大平内閣の前の内閣は、福田赳夫内閣でした。1978年、自民党総裁の任期満了を前に、福田首相(当時)は続投を望んでいました。この年は自民党員による総裁選の予備選があり、1位になる自信のあった福田首相は「予備選挙で2位になった総裁候補は、国会議員による本選を辞退すべき」と主張していました。

 しかし、予備選挙で福田首相は大平幹事長(当時)に大きく離され2位になってしまいます。森喜朗官房副長官(当時)などが本選に出馬するよう福田首相に要請しますが、福田首相は本選辞退を決めました

 このとき、「天の声にも変な声がたまにはある」という言葉が生まれました。天の声というのは、予備選の結果です。この結果は、大平幹事長を支える大平派だけの成果ではなく、ロッキード事件で自民党を離党していた田中角栄元首相率いる田中派の協力があったためとされています。

 現役首相が与党の党首選の、それも予備選に敗れて本選を辞退し、内閣総辞職するという結末に、福田首相を応援していた面々は納得がいきませんでした。彼らには、福田派として総裁選の選挙運動ができなかったという思いもあったからです。というのも、福田首相は派閥政治の打破を訴え、自ら福田派を解消していたのです。

■政局が面白い

 「天の声にも〜」という言葉は知ってはいましたが、詳しい経緯は知らなかったので大変面白かったです。この六部は福田内閣を描く前半部が退屈で何度も中断していたのですが、総裁選あたりになってきてグンと面白くなって一気に読んでしまいました。

 どうしても、政策が順調に行われる場面より、政局のほうが面白くなってしまいます。小説とはいえ、だいたい歴史には沿っているので結末はわかっているのですが、それでも面白いのです。


政治と人間


 政策と政局は別ではないか、と主張する人は多い。しかし、政策を最終的に決定するのが政治家である以上、政策決定に時の政治情勢や政治家の思惑が絡むのはやむを得ないことである。
田崎史郎『梶山静六―死に顔に笑みをたたえて』(講談社)P.514

■政治と利害調整

 政治というと、不信なものの代名詞のように思えます。国会審議における政治というのは、利害調整です。それも一番上澄みのきれいな部分です。上澄みの部分ですら不信感を持たれるのはなぜでしょうか。

 それは、利害調整の結果、妥協の産物となった成案を前にしたどの立場の人間も「これはおかしい」「普通に(まともに)考えたらこうはならない」という感想をもち、「だから政治はダメだ」となるからです。

■政策いろいろ

 すべての人が納得する政策があるかもしれませんが、ない可能性も十分あります。ない場合は、ひとりひとりの立場によって良い政策は違います。政策の違いは、立場の違いです。立場が違うため、現実の見え方が違うのです。現実の見え方が違うため、考慮される事実・捨てられる事実が違い、必要と思われる政策手段が違い、成功とされる政策効果も違う。

 そして、違う政策を持った人間が集まって討議していく中で、捨てた事実をもう一度拾ったり、考慮した事実を捨てたりして成案ができていきます。

 期限(会期)を見据えて、期限までの絶え間ない事実の入れ替えが討議です。そして、討議の前提を整える技術として政治がある。ここでいう政治は、討議をある特定の立場からスムーズにすすめていくための諸技術のことです。根回し、脅し、泣き落とし、ありとあらゆる手を使い、自分の立場を重視した討議を実現しようとします。このとき、技術を使う対象になるのは政治家自身です。つまり、人間です。

■人間が相手

 話題は天下国家でも、相手は人間であるゆえに、第三者からみれば不可解な動きがあります。それもまた、政治に対するわかりにくさ、不信感を生んでいる原因となっているのかもしれません。

 ただ、私はそれも含めて面白いと思います。

 というようなことを、この本を読んで考えました。


議員定数削減と脱政治化


■議員定数削減

 先月衆議院を通過した衆議院選挙の区割り法案は、与野党が真っ向から対立しました。「0増5減」を先行し、衆議院選挙の正常化を目指す与党と、恒久的な衆議院選挙の正常化のため、抜本的な選挙制度改革を目指す野党の対立です。

 とは言え、野党でも賛否がわかれている点があります。それが議員定数削減問題です。民主党やみんなの党などが大幅な定数削減を目標に掲げている一方、共産党などは定数削減に否定的です。

■定数削減は脱政治化

 政治で扱う問題がどんどん少なくなれば、当然、国会議員も少なくていいことになります。そうでなければ、定数削減によって国会審議はうまく回らなくなってしまいます。人数を減らして、今までと同じかそれ以上の仕事をするのは大変なことです。

 つまり、定数削減と、政治の役割を減らす「脱政治化」はセットで行われることになるはずです。その点で、「小さい政府」を目指す政党が大幅な定数削減を目指すのは矛盾がありません。

 例えば、みんなの党は政権公約でも「小さい政府」の実現を謳っていて、かつ、定数削減による「立法機能の低下はない」という立場です。脱政治化という観点から見れば理屈は通っています。

 逆に、安倍首相が率いる自民党は経済や金融、教育などについて公的な場で討論し対策を決定すべきという立場にあるように見えます。問題を「政治化」していく立場です。

 もし、みんなの党に比べて自民党が大幅な定数削減に消極的なのだとしたら、それは「脱政治化」と「政治化」という問題解決の基本的な立場の違いからくるものなのかもしれません。


政治化と脱政治化


■読売:地球を読む欄

 2013年4月29日現在。今朝の読売新聞朝刊に面白いフレーズが載っていました。「地球を読む」という欄で、今回は政治学者の御厨貴さんが書いていました。内容は発足から120日経った安倍政権を振り返るというものです。以下がそのフレーズです。

経済・金融を政治が統治できるのだという姿勢を明確にしたことは、ここ20年で初めてだ。

 経済・金融を政治が統治できるというのは、政治が経済・金融をコントロールできるということです。そして、政治が経済・金融をコントロールできるということは、経済・金融の問題が公的な討議の領域に入るということになります。つまり、私達も投票を通して日本の経済・金融をコントロールすることができるということになるのです。

 逆に経済・金融を政治がコントロール出来ないというのはどういうことでしょうか。政治がコントロールできないということは、それは政治の領域で扱うことから外れます。少なくとも投票を通しては、私達にコントロールできなくなります。経済・金融の場合は、問題解決を市場に任せる・日本銀行に任せるということになります。

 前者のように問題を政治の領域に移すことを「政治化」、後者のように問題を政治の領域から外すことを「脱政治化」といいます。

■政治化と脱政治化

 「政治化」と「脱政治化」という言葉は、コリン・ヘイ『政治はなぜ嫌われるのか――民主主義の取り戻し方』という本で知りました。この本はタイトル通り、「どうして政治というと悪いイメージがつきまとうのか」ということを扱っています。

 ヘイは、政治に関わる政治家や官僚は、みな自らの利益を最大化することを狙っているという前提で見られていると指摘します。そのため、もはや政治にはこの世の様々な問題を解決することができないと考えられているとも。

 やっかいなことに、有権者だけでなく政治家や官僚自身も同じ前提=政治には問題解決能力がないという立場をとっているため、様々な問題を政治の領域から移すことに熱心になってきました。ヘイの言う、脱政治化を推進してきたのです。

 脱政治化が問題解決に役立つかどうかはともかくとして、脱政治化は政治にダメージを与えます。脱政治化は、政治で扱える問題をどんどん減らしていくからです。問題解決の当事者が、国会や政府から市場に、そして市場の参加者としての消費者=有権者にどんどん移っていきます。果ては、その問題は誰の手にも扱えない、運命的、宿命的なものとみなして、受動的に対処することになっていきます。

 現在の日本で言えば、識者の経済成長に対する見方がこれに当てはまるでしょう。「経済成長を左右するのは、国でもなく、市場でもない。まして消費者にどうこうできるものではない。もう日本はかつてのような経済成長はできない。いかに経済成長するかではなく、経済成長しないことを前提に考えていくべきだ」という見方です。

 ここまでいくと極端ですが、そうでなくても脱政治化によって政治で扱える領域は減ります。つまり、有権者が選挙に行って投票しても、なんにもならないということです。政治で決められることが減ってしまうのだから当然です。結果として投票率は減り、多様な意見を取り入れることができなくなって政治の選択肢が更に狭まり、また投票率が減っていくという負のスパイラルに陥ってしまう。先進国で投票率が年々減っていることには、そういう背景があるかもしれないと、ヘイは書いています。

■各党の政治姿勢

 冒頭で紹介した御厨さんの言葉でも示されている通り、安倍政権は脱政治化ではなく政治化の道を進んでいるようです。確かに、安倍首相は日銀を政府の統制下におくことで金融をコントロールし、大型の補正予算を組むことで経済をコントロールしようとしています。

 また、安倍首相の持論であった「戦後レジームからの脱却」を実行するには、教育や安全保障などをどんどん政治化していく必要があるでしょう。政治化という点で、安倍政権の政治姿勢は一貫しているのでしょうか。

 そうでもありません。関税をなくすことを目指す、少なくとも関税の決定を国内政治だけでなく国家間で決めるようにするTPPは政治化ではなく脱政治化的な政策です。民主党やみんなの党、日本維新の会も、ある政策については政治化し、またある政策については脱政治化するという姿勢です。これは、非常に興味深いことです。

■政策の優先順位を見抜く

 ひとつひとつの政策の詳細も重要なのでしょうが、政策を政治化と脱政治化という側面でみるのも面白いかもしれません。各党の基本的な理念が政治化よりなのか脱政治化よりなのかということと、それぞれの政策が政治化よりなのか脱政治化よりなのかを考えることで、政策の優先順位がわかるのではないかと思うからです。

 優先順位が高いもの重視するため、優先順位が低いものは交渉の材料にされることでしょう。政策の優先順位がわかれば、与野党がどのように国会で攻防を繰り広げ、どのように物事が決まっていくかをおおよそ予測できるかもしれません。そうすれば、投票の際、自分が大切に思っていることを改善してくれる政党を、より適切に選べると思うのです。


審議拒否と日本共産党


■審議拒否の意義

 2013年4月25日現在。先週、4月15日〜19日は、衆議院の選挙制度を巡って審議拒否が起こりました。

 審議拒否は、多数派の強引な国会運営に抵抗する手段のひとつです。

 強引な国会運営とは、例えば、多数派にとって都合の良い議案だけを議題にして、すぐに採決するようなものです

 原則、議題になっていないものについて話し合うことはできないので、議題の設定や設定過程自体がおかしいと思った場合は、審議拒否して委員会が開かれないこと狙います。そして、審議復帰を条件に多数派から譲歩を引き出すのです。

 事実、4月17日の衆議院は、党首討論を行う国家基本政策委員会以外のすべての委員会が、野党の出席を得られなかったため審査を進めることができませんでした。審議拒否には、委員会を開かせないという力が存在すると言えます。

■それでも委員会が開かれたら

 審議拒否には一定の効果があります。

 とはいえ、その効果は多数派である与党が譲歩した時のみ発生するものです。特に、現在の衆議院のように与党が圧倒多数の議席を持っている場合、野党が出席しようがしまいが、与党は強制的に委員会を開くことが可能だからです。

 こうなってしまうと、審議拒否をして委員会を欠席してしまったら、会議録に自分たちの意見を残すことはできません。

 せいぜい、委員長が欠席した会派の名前を読み上げたことが残るだけです。

 本会議の日程について協議したあと、委員長の職権で再開された、4月16日の衆議院議院運営委員会の会議録では、以下のようになっています。

○佐田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 再開に先立ち、民主党・無所属クラブ、日本維新の会、みんなの党、生活の党の所属委員に理事をして出席を要請いたしましたが、いまだ出席が得られません。やむを得ず議事を進めます。

 この時、議院運営委員会に委員を出している会派のうち、野党会派で出席したのは日本共産党のみでした。

■審議拒否にくみしない日本共産党

 日本共産党は他の野党が審議拒否しているなかでも委員会に出て、与党と反対の立場から意見を述べています。

 会議録では共産党議員の以下のような発言が残っています。

○佐々木(憲)委員 日本共産党の佐々木憲昭でございます。
 初めに、この委員会が、与野党合意のないまま、与党によって一方的に開かれたことに対して、強く抗議するものであります。議会の運営は、合意の上、円満に行われるべきであります。
 その上で、内閣提出の小選挙区〇増五減を、一方的に委員会付託を強行することに対し、断固反対するものであります。

 与党の強引な国会運営に抗議し、与党の提案した「区割り法案を特別委員会に付託して審議を開始する」ことに反対したことが、会議録からわかります。

 この意見は会議録に残ります。審議拒否をして、委員会を開かせないようにして、多数派から譲歩を引き出したり、対応を改めさせたりするのも大事ですが、委員会に出て自分の意見を会議録に残すのも大事です。

 ですから、どこか1党は野党の出席が必要です。

 日本共産党は、その点で議会政治に対し、一定の役割を果たしていると言えます。


民主党と参議院


■民主党の現状

 民主党の現状をどう評価すればよいでしょうか。

 2012年度補正予算は衆参両院で可決され、日本銀行の正副総裁人事も政府案通り同意されました。自民公明両党が過半数を持っていない参議院ですら、民主党は思うように存在感を出せていないように見えます。

 かといって、まるっきり存在感がないわけではありません。補正予算の審議も、日銀人事の審議も、その間にあった公正取引委員会の委員長人事も、政府の思惑通りの審議日程ではありませんでした。これらは、民主党が審議日程の引き伸ばしを望んだために採決にいたるまでの時間が伸びました。国会の場で民主党が力を失っていないことがわかります。

■「ねじれ」を作り出せない

 それでも、安倍政権を参議院選挙で退陣に追い込んでから、2009年に民主党政権ができるまでの参議院の民主党の影響力には程遠いです。

 なぜ、民主党は審議日程を多少引き伸ばすくらいのことしかできなくなってしまったのでしょうか。

 その理由は、安倍内閣を支持する声や、民主党に対する厳しい世論に配慮していることもあると思いますが、なにより、野党を反自公で糾合できないからです。民主党は参議院の会派のなかで、最も多い議席を保持していますが、過半数には届きません。他の野党と協力して自公と対決しなければ、「ねじれ」状態を作り出せないのです。

■いままでが強すぎた?

 前回改選の2010年7月からの3年間の野党が強すぎたのかもしれません。前回の改選からこのかた、参議院で過半数を失った民主党政権の国会に対する影響力は予算以外ない状態でした。今の自公のように、衆議院での再可決も使えない議席数だからしょうないです。

 それでも成立した法案はあったので、今となっては少し不思議な気もします。仮説としては、「参議院での野党の譲歩によって法案が成立した」というものが考えられます。

■今後どうなるか

 2013年度予算案は、参議院で否決されても衆議院の議決だけで成立します。安倍政権に危機感を持つ民主党とすれば、それ以外のところで与党の動きを食い止めなければなりません。それ以外とは、主に法案になるでしょう。


政治のルールを知りたい


■サッカーのルールがわからない

 私はサッカーをあまりみません。それだからか、FWやDFのようなポジションの役割も、ツートップなどといわれるフォーメーションのメリットデメリットもわかりません。ルールもいまいちです。

 まして、どのチームが強いとか、どの選手がどういう能力を持っているから凄いなどということも判断できません。このチームとこのチームの対戦なら、こういう流れになって、結果こちらのチームが勝つだろう、なんて予測することなど夢のまた夢です。

■楽しむためのポイントを抑える

 サッカーにかぎらず、スポーツについて楽しそうに話している人たちを見ると、羨ましくなります。どうやって、楽しむための知識を抑えていったのかと、不思議に思います。学校では習わなかったはずですから、自分で勉強したのでしょう。

 私が政治の、特に国会の動きを中心に見ているのは、政治を楽しむために抑えるべきポイントを明らかにするためです。そして、サッカー好きの人がサッカーについて語るように、政治について語りたいのです。