改革と立場と合意と前提


 9月6日に報じられた、経済界・労働界からの国会改革の提言には、「予算と、予算執行に必要な予算関連法案や、特例公債法案をセットで成立させること」、「首相をはじめとする閣僚の国会出席を減らす」などというものがあるようです。それらが実現することには、メリットもあればデメリットもあります。

■立場による、改革のメリットとデメリット

 例えば、予算と予算に関する法案をセットで成立させる提言が実現すれば、今日のように特例公債法案の成立が遅れて財政が危機に陥ることのないように、予算の執行を確実にするメリットがあります。しかし、このメリットは、政府・与党とそれを支持する有権者、行政の主流派、その予算が執行することで生きていける経済界・労働界が享受するものです。

 野党とその支持者や、行政の非主流派、その予算では生きていけない経済界・労働界にとっては、そのような予算が迅速に執行されてしまっては困ります。メリットは受けなくても税金は必ず払うので、なおさらです。そういう人々にとっては、すぐ決まる仕組みよりも、何回も話し合って自分たちの意見が少しでも反映される可能性のある仕組みの方がいいかもしれません。

 これが損得でなく、信念の問題になるとやっかいです。信念として、政府のやることをことごとくチェックすべきだという人にとっても、予算と予算関連の法案をセットで扱うことはあまり良いとは言えないでしょう。

■何を優先するかに関する合意が必要

 予算の迅速・確実な執行も重要ですし、政府のチェックも重要です。しかし、あちらを立てればこちらが立ちません。こういうときは、日本という国は何を優先すべきかという合意形成が重要です。どういう国を目指し、どのような幸福な生活をもたらすために、何を優先すべきなのかを、です。そういう、国民の前提、空気が作られていかないと、結論を出すのは難しいです。

 国会改革とは関係ありませんが、道徳教育が中途半端なものになっているのは、道徳についての国民的な合意がもう失われてしまっているからだと、私は考えています。保守的な人にしろ、リベラルな人にしろ、自分たちの主張をどんどん浸透させることを怠って、行政でガツンとやればいいと思っているようでは、永遠に自らが望む理想の道徳教育はできません。

 特に、「日本人なら当たり前」とか「地球人なら当たり前」みたいな態度ではダメです。当たり前じゃないかもしれないと思って、必死に説得することが必要です。他の国なら宗教のような自明な規範、当たり前のものがあるのかもしれません。しかし、そのような国と、少なくとも、前の戦争に負けて60年以上ほっといた日本とでは状況が違います。自明のものを新たに作ることに苦労するのはしょうがないのです。道徳教育に関する私の立場は、もし今より踏み込んでやるのなら、みんなが合意できるものにしてほしいというものです。

■立場の妥当性と採る選択肢の妥当性をチェックする

 それはさておき、立場と優先順位を明らかにすることは実質的なメリットもあります。「Aという立場に立つので、XとYという選択肢なら、Aを満足するXを優先する」という話し合い方にしないと、どちらも正しいだけに、正論を言い合うだけの意見表明大会になってしまう恐れがあります。それでは、お互いの主張の妥当性をチェックすることができません。

 立場の表明とその利益になる選択肢の優先という考え方が重要です。その選択肢がその立場の利益になるかという観点と、その立場が妥当かという観点の2つにわけてチェックすることが容易になり、意見表明だけであとは喧嘩別れということが少なくなるのです。

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