政治と人間


 政策と政局は別ではないか、と主張する人は多い。しかし、政策を最終的に決定するのが政治家である以上、政策決定に時の政治情勢や政治家の思惑が絡むのはやむを得ないことである。
田崎史郎『梶山静六―死に顔に笑みをたたえて』(講談社)P.514

■政治と利害調整

 政治というと、不信なものの代名詞のように思えます。国会審議における政治というのは、利害調整です。それも一番上澄みのきれいな部分です。上澄みの部分ですら不信感を持たれるのはなぜでしょうか。

 それは、利害調整の結果、妥協の産物となった成案を前にしたどの立場の人間も「これはおかしい」「普通に(まともに)考えたらこうはならない」という感想をもち、「だから政治はダメだ」となるからです。

■政策いろいろ

 すべての人が納得する政策があるかもしれませんが、ない可能性も十分あります。ない場合は、ひとりひとりの立場によって良い政策は違います。政策の違いは、立場の違いです。立場が違うため、現実の見え方が違うのです。現実の見え方が違うため、考慮される事実・捨てられる事実が違い、必要と思われる政策手段が違い、成功とされる政策効果も違う。

 そして、違う政策を持った人間が集まって討議していく中で、捨てた事実をもう一度拾ったり、考慮した事実を捨てたりして成案ができていきます。

 期限(会期)を見据えて、期限までの絶え間ない事実の入れ替えが討議です。そして、討議の前提を整える技術として政治がある。ここでいう政治は、討議をある特定の立場からスムーズにすすめていくための諸技術のことです。根回し、脅し、泣き落とし、ありとあらゆる手を使い、自分の立場を重視した討議を実現しようとします。このとき、技術を使う対象になるのは政治家自身です。つまり、人間です。

■人間が相手

 話題は天下国家でも、相手は人間であるゆえに、第三者からみれば不可解な動きがあります。それもまた、政治に対するわかりにくさ、不信感を生んでいる原因となっているのかもしれません。

 ただ、私はそれも含めて面白いと思います。

 というようなことを、この本を読んで考えました。


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