政治を考える」カテゴリーアーカイブ

空気を読まずにお約束を無視する


NHKの番組で、野球の「エース」の語源について解説していました。その番組が紹介している説によると、エースの語源は以下のようなものです。

野球がバッターに打たせて楽しむゲームだった時代に、バッターに打たせないピッチングをして負けなしだったアサヘル・ブレイナードという投手がいました。

それからというもの、良い投手のことをブレイナード投手のニックネームであるエイサがなまってエースと呼ぶようになった、というのがNHKの番組で紹介された説です。

この話を聞いたときに思ったのは、すさまじい業績をあげる人のなかには、「空気を読まない人」がいるということです。

野球がバッターに打たせるゲームだったときに、バッターに打たせないようにするというのは、ある意味で空気を読まない行為です。

空気を読まないで業績をあげた他の例としては、源義経もそうでしょうか。話によると、義経は当時は狙わないことが当たり前だった船の漕ぎ手を射殺することを命じて、戦いを有利に進めたとか。

政治でもそういうことは起こります。平成の例では、長年のライバルだった自民党と社会党が連立を組み、社会党議員を総理大臣に担いだ自社さ連立政権の成立がそうです。

非自民政権内で孤立感を感じていた社会党と、政権奪還の執念に燃えた自民党が組むことで、政権交代から1年たたずに自民党が政権に復帰しました。

このとき、非自民政権の幹部は社会党が自民党と組むことはないと考えていたようです。

長年ほぼ二大政党として対立していた自民党と社会党が連立を組むのは、空気を読まない行為ではありました。

しかし、自民党と社会党が対立しているというのは、ルールによるものではありませんから、ルール違反ではありません。

単なるお約束であったということに思い至らなかったのが、非自民政権幹部の敗因だったのかもしれません。

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政治と政策の違い


政治と政策は違います。

政治は、政策をどう実現するかという技術や芸術です。政策を実現する手段が政治であると言ってもいいかもしれません。

そして、政策も国民の幸福実現するための手段です。

政策はルールが緩く、自由な発想で考えることができますが、政治には制度や慣習によって決められたガッチリしたルールがあります。

どのような政策の実現を目指すにしろ、ルールは同じです。

だから、国会のルールに注目しています。

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審議拒否をどう評価するか


審議拒否を「サボり」だとする批判があります。

とはいえ、審議が進むということは採決にむかうということであり、採決になったら野党に勝ち目がないことは明白なので、審議の進行自体に疑いがあるときは、審議拒否することはある意味で権利です。自民党も野党時代は審議拒否をしました。

問題は審議拒否それ自体ではなく、審議拒否をすることで目的を達成できたかどうかです。

話題になった5月の連休を挟んだ野党の審議拒否の場合、当初の審議復帰の条件に麻生財務大臣の辞任があったのですが、それは実現せず、働き方改革もカジノの法案も成立してしまったため、目に見える成果はありませんでした。

ただ、成立したどちらの法案も採決が延びたり、総理大臣が出席する予算委員会の集中審議が行われたりと与党が譲歩したので、なんの成果もなかったわけではありません。

野党の審議拒否の評価は、この事実をどう評価するかということだと思います。

与党が国会正常化に対し何もしなかったというのならば、野党の審議拒否は無駄なパフォーマンスだったということになりますが、事実はそうではないのだと思います。

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マニフェストの効果


マニフェストを掲げて政権交代を果たした旧民主党政権が崩壊してから、マニフェストという言葉をあまり聞かなくなったような気がします。

マニフェストは効果があったのではないかと思っています。なんの効果かというと、公約を検証することができるという効果です。いまだに、旧民主党政権の失敗として、「マニフェストに書いてあることは達成できないか中途半端な結果になり、マニフェストに書かれていないことをやった」と新聞記事に書かれていることが検証できるという効果を示しています。

ですから、有権者はともかくとして、政治家が単にマニフェストは失敗だったというのは、「今後は自分たちの行動を検証されたくありません」という意味ではないかと悪くとってしまいます。

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違憲状態を単に認めることによる憲法の弱体化


憲法をめぐる議論について思うことがあります。
違憲状態の指摘をあらゆるところですることで、かえって憲法を脆弱なものにすることがないだろうかと。

どいういうことかというと、「違憲状態を放置できてしまうような体制なら、もう憲法なんて紙切れに過ぎず守る価値がないんじゃないか」というふうにならないかということです。

憲法制定時から時間が経過したため、憲法を文言通り読めば、違憲であるということは少なくないと思います。

この状態を、政府が単に「違憲でーす!」と言うわけにはいかないので、内閣法制局がいろいろ理屈をつけて、「実は合憲なんです」と言っていまの憲法体制を守ろうとしています。

もし、政府が「あれもこれも違憲だ!」と言いはじめたら、選択肢は2つしかありません。憲法を無視して好き勝手やるか、憲法を変えるか、の2つです。

たとえば、自民党総裁選で安倍総理が主張している「憲法学者が自衛隊は違憲と言っているから、9条の2を設けて自衛隊を明記する」というのは、現状違憲だから憲法を変えるという発想に近いものです。

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大義なき解散にも、大義はあります!


■衆議院解散

 2014年11月30日現在。先週の11月21日に衆議院は解散され、日本から衆議院議員は消滅しました。

 衆議院の解散とは、実質的には内閣総理大臣が、任期によらず衆議院議員をひとり残らず免職させることです。そして、解散は選挙によって改めて衆議院議員を選出することを伴います。

■大義なき解散?

 今回の解散と、前回の解散の違いのひとつに、解散の大義が取り沙汰されている点があります。

 今回の解散は大義なき解散だというのです。

■大義がない3つの理由

 大義がないとされている理由はだいたい3つです。

  1. 安倍総理が解散の理由として掲げた消費税増税延期に反対している政党がひとつもないこと。つまり、争点がない解散であること。

  2. ほぼ全ての野党が選挙の準備不足なため、与党が過半数を失わないことが明らかであること。つまり、党利党略による解散であること。

  3. すでに与党で十分な議席を保持しており、任期も2年近く残っていること。つまり、解散する必要がないのにあえてした解散であること。

■争点なき解散

 まず、1について。確かに消費税増税延期については各党異論がないようです。では、他に問うことはないのでしょうか?集団的自衛権は?特定秘密保護法は?原発は?経済政策は?安倍政権の政策や政権運営に異論はないのでしょうか?

 もしそう思う有権者が大勢だとしたら、野党は猛省すべきです。野党の主張は、全く有権者に響かなかったことになります。

 野党というものが存在している時点で、争点がないわけはないのです。なかったら、日本の議会制民主主義はおしまいです。

■党利党略の解散

 次に2について。確かに野党は準備不足なようです。特に、前回の解散総選挙で下野した民主党は候補者を200人揃えるのがやっとという報道があるほどです。200人では全員当選しても過半数はとれません。

 しかし、与党が野党の望む時に解散するなんてことはなかなかありません。前回の解散がとても少ない例のひとつです。

 また、前回の解散にしても、当時勢いのあった日本維新の会など、自公や民主とは別の第三極政党の準備がととのわない時期を選んだということを、野田前総理がインタビューで明言している(山口二郎・中北浩爾編『民主党政権とは何だったのか――キーパーソンたちの証言』岩波書店:P.261)ので、党利党略で解散するのは今回にかぎったことではありません。

■必要のない解散

 最後に3について。確かに、安倍政権はともかく、自公政権は政党の枠組みが現状のままなら、あと2年は安泰です。自公の議員の身分も安泰です。もちろん、野党の議員の身分もそうです。選挙をしたら、自公の現職候補が落選して議席が減ってしまうかもしれないことは否定できません。

 つまり、これは選挙という負担に不満を持つ与党議員や与党支持者の声でしょう。また野党議員や野党支持者の声でもありましょう。これは切実なものです。

■解散権の本質は落選の恐怖

 この3が、これこそが解散権の本質です。この切実な声、「選挙はごめんだ」という声が解散権に力を与えます。落選の恐怖があるから、解散権はちらつかせるだけで実際に行使しなくても威力を発揮することがあるとされています。

 実際、解散が囁かれた段階で、消費税増税を決めた三党合意の主導者である民主党は、あっさりと増税延期賛成という態度を鮮明にしました。今回の解散は選挙をまたずして効果を上げたと言えます。

■有権者に大義あり

 いろいろ書きましたが、解散に大義があると感じるかどうかは、情緒的なものでしょう。大義があろうがなかろうが、解散は選挙とセットです。選挙の主役は誰あろう有権者です。有権者に主権を行使する機会が到来する時点で、すでに解散には大義があります。

 有権者に大義ありです。

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久々の首相主導の解散か?


 2014年11月11日現在。解散風がふいてます。先月末からチラホラ衆議院の解散が記事になっていましたが、今週になって怒涛のように報道されています。

 来週、11月19日にも解散するとの見方があります。大安ですし、ちょうどいいのかも知れません。

 さて、もし解散するとして、この解散にはどのような意義があるでしょうか。

 前々回の麻生内閣、前回の野田内閣、ともに衆議院が解散されています。解散後の選挙では、前々回は自民党から民主党へ、また、前回は民主党から自民党へ政権交代が起こっています。政権交代が起こるだけあって、解散直前の政権、政権与党の人気はひどいもので、野党に押し切られる形での解散でした。

 しかし、今回の解散は違います。野党が解散を望むどころか、以下のような言葉が報じられています。

 野党には早期解散の警戒感が広がる。民主党の海江田万里代表は「受けて立つ」と強調するが、代表経験者の1人は10日「正直なところ解散してほしくない」とこぼした。維新の党幹部は「足が震える思いだ」と漏らす。
(日本経済新聞『早期解散論が浮上』11月11日付朝刊)

 今回は安倍首相主導の能動的な解散である、ということが言えます。このような解散は、 3回前、2005年に行われた小泉内閣による郵政解散以来です。

 解散権というのは首相の権力のひとつです。首相となったからには、一度は解散をしてみたいと思うのではないでしょうか。首相になって解散権を行使できないというのは、非常に寂しいものです。かつて安倍首相も解散することなく首相の座を降りました。

 もし解散するとしたら、安倍首相は第一次安倍内閣での忘れ物のひとつを取りに行ったということになります。


人材不足か、政権基盤固めか、それともなんだろう?


 2014年9月3日現在。大安の今日、第二次安倍改造内閣が発足しました。月内にも臨時国会が召集されるとの観測もあり、今年の国政の後半戦がいよいよ始まろうとしています。

 昨日の報道の通り、谷垣法務大臣は自民党幹事長に就任しました。総裁経験者では初のことだそうです。それもそのはず、自民党の歴史の中で総裁になった議員は1,2の例外を除いて総理大臣になっていて、一度総理大臣になったらその議員は「上がり」となって大きなポストにはつかなかったからです。

 ただ、宮澤元総理や橋本元総理が、総理・総裁を降りたあとに入閣してから、そうとも限らなくなってきました。いまも麻生元総理が、副総理・財務・金融大臣として閣内にいます。

 とはいえ、いずれも閣僚での起用であり、自民党内の話ではありません。やはり、初めての事態だといえます。

 ちなみに、総務会長に就任した二階衆議院予算委員長もベテランです。党三役のうち、2人をベテランにしたわけです。安倍総理が政権基盤を固めるために行ったとみるか、自民党の人材不足とみるかで評価は変わってきそうです。

 ただ、ベテランをつかったからといって、必ずしも人材不足とは限りません。他にも党三役が務まりそうな人がいたけれども、単に起用しなかっただけかもしれないからです。

 留任した岸田外務大臣なども、党三役候補に上がっていたのではないでしょうか。岸田さんは自民の名門派閥宏池会の会長であり、党三役の経験はありません。もし、外務大臣から幹事長になり、党務を取り仕切るようになれば、経歴的には文句なしのポスト安倍の1人になります。


野次を取り締まるのは難しいので、議員の自浄能力に期待するしかない


 東京都議会で野次が問題になっています。野次を防止することはできるでしょうか。

 一つの考え方として、議長が野次を飛ばした議員を退場させる方法があげられます。 国会の場合、議長にはそれだけの権限があります(国会法116条)。

 しかし、この方法をとるのは難しいです。野次を飛ばすのは与党議員や、多数党の議員だけではないからです。

 もし、首相の答弁中に野次を飛ばした野党議員を、議長が衛視に命じて退場させるとします。その光景を写真に撮られたら、いかにも政権に都合の悪いことを言った議員の口を封じているように見えてしまいます。これは、日本の議会制民主主義に対する大きなダメージになります。

 議員を処罰するような問題は、常に与党に恣意的に利用されることがないか考える必要があります。決をとったら、常に勝つのが与党だからです。

 したがって、お上に強制的に解決してもらおうとするのではなく、議員同士の話し合いで決着をつけるべきです。そもそも議会は言論の府で、議員は話し合うのが仕事です。選んだ議員を信頼するしかありません。

第百十六条  会議中議員がこの法律又は議事規則に違いその他議場の秩序をみだし又は議院の品位を傷けるときは、議長は、これを警戒し、又は制止し、又は発言を取り消させる。命に従わないときは、議長は、当日の会議を終るまで、又は議事が翌日に継続した場合はその議事を終るまで、発言を禁止し、又は議場の外に退去させることができる。

『国会法』

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集団的自衛権の行使容認に向け、政府はすでに捨て身の作戦にでている


 2014年6月9日現在。今国会の会期末まで、あと2週間弱です。安倍政権は集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈を、今国会中に閣議決定する方針です。どうも、本気のようです。一方、連立を組んでいる公明党も本気でこ政治課題の先送りを目指しているようです。落とし所はあるのでしょうか

 実は、公明党が一番望んでいたと思われる落とし所は、すでに葬り去られています。憲法解釈と集団的自衛権に関する態度として、以下の4つのものが考えられます。

  1. 憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使とみられる行動(米艦防護、機雷除去など)をとれるようにする
  2. 憲法解釈を変更せず、集団的自衛権の行使とみられる行動をとれるようにする
  3. 憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使とみられる行動をとれないようにする
  4. 憲法解釈を変更せず、集団的自衛権の行使とみられる行動をとれないようにする

 1は、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使容認を目指す安倍政権の考え方です。2は個別的自衛権で集団的自衛権の行使とみられるような行動をとれるとする考え方で、公明党が主張していたものです。4は集団的自衛権の行使容認に反対する人たちのスタンダードな考え方です。3はありないと思う人がいるかもしれませんが、ありえます。どういう考え方かというと、憲法解釈をもっと厳しくして自衛権を制限するという考え方です。

 この4つの考え方について安倍政権と公明党の選好を表にしてみます。100が最も望むものです。

20140609

 この表でみると安倍政権と公明党の選好の合計が最も高くなるのは2の考え方です。安倍政権としては、憲法解釈の変更という名をすて、集団的自衛権の行使とされる行動をとれるという実をとる選択になります。公明党としても、連立与党として安全保障上の課題に向きあいつつ、党論と違う憲法解釈変更は拒否するという立場がとれるわけです。

 ところが、5月28日の衆議院予算委員会で、横畠内閣法制局長官は、「現在の憲法解釈では、米艦防護や機雷除去はできない」と答弁しました。これにより、理屈の上では2で妥協するということが不可能になったわけです。

 2が選択肢から消えてしまうと、次に自民党と公明党の選好の合計が高いのは1になります。安倍政権は目的を達成し、公明党は連立に残れます。内閣法制局長官の答弁は、落とし所を強引に1にしようという作戦です

 これは、政府にとっては捨て身の作戦です。もう、憲法解釈を変更しない限り、「米艦防護」も「機雷除去」もできなくなってしまったわけです。そして、公明党の選好が連立維持にこだわる1よりも、連立離脱も辞さない4のほうに偏っていた場合、すべてパーになります。